木下 (印西市)
千葉県白井市の大字
木下(きおろし)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-1326[2]。
木下 | |
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木下駅南口 | |
北緯35度50分25.9秒 東経140度8分56.4秒 / 北緯35.840528度 東経140.149000度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 印西市 |
地区 | 木下地区 |
標高 | 6 m |
人口 | |
• 合計 | 1,680人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-1326[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
※座標・標高は幸町集会所ことぶき会館付近 |
近世には利根川に面した河港(河岸)として木下河岸が置かれ、江戸と利根川下流地域を結ぶ交通・物流の要衝として栄えた土地である。
地理
編集小字
編集小字は以下の通り[4]。
- 池田(いけだ)
- 平台(ひらだい)
- 金戸(かねど)
- 大下(おおしも)
- 木下町並(きおろしまちなみ)
- 樽場(たるば)
歴史
編集江戸時代は竹袋村であり、下総国印旛郡のうち、印西領、印西筋に属す。もと竹渓村、1616年(元和2年)から竹袋村となったともいう。
1663年(寛文3年)から幕府領、1698年(元禄11年)から旗本阿部氏・三枝氏の相給、1701年(元禄14年)から佐倉藩領、1723年(享保8年)から淀藩領。村高は、「元禄郷帳」547石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに535石余。
1723年(享保8年)「淀領郷村帳」によれば、小物成として夫役1貫254文余・百姓林銭永1貫730文・船役銭12貫254文・木下河岸運上永10貫文・糠藁代永250文・山銭鐚12貫374文を上納(田辺家文書)。
1772年(明和9年)指出帳写によれば、反別田33町1反余・畑屋敷9町2反余・新田14町7反余・新畑18町9反余、ほかに山畑20町3反余・百姓林34町余、米積場・諸荷物附揚附下場があり、茶船20・小船12・酒屋通船1・渡場馬渡船1など、家数191・人数708、馬70(吉岡家文書/県史料下総)。
また木下河岸では銚子方面から鮮魚が陸あげされ、江戸へ向けて輸送された。1679年(延宝7年)からは、鹿島・香取・息栖の三社参詣に、同河岸からの木下茶船が活躍した。
1873年(明治6年)千葉県に所属。神社は稲荷神社など。寺院は天台宗三宝院(印旛郡誌)。1889年(明治22年)木下村の大字となる[5][6]。
年表
編集世帯数と人口
編集2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
木下 | 806世帯 | 1,680人 |
施設
編集交通
編集鉄道
編集道路
編集文化財
編集脚注
編集- ^ a b “印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1449頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 530頁
- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 531頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 303頁
- ^ 木下貝層(印西市)
- ^ 木下万葉公園(印西市)
関連項目
編集- 木下町
- 木下
- 千葉県道59号市川印西線 - 江戸時代の「木下街道」の名を愛称として受け継ぐ。