東映京都撮影所

日本の京都府京都市にある東映の映画スタジオ

東映京都撮影所(とうえい きょうと さつえいじょ)は、京都市右京区太秦に存在する映画スタジオである。映連加盟のメジャー映画会社である東映の一事業所であり、現在はその敷地内に、オープンセットを一般公開するテーマパークである東映太秦映画村や、関連の各企業を内包する。東映の撮影所となったのは戦後からであるが[1]、撮影所自体は、大正末年(1925年)に阪東妻三郎竹藪だった同地を切り開いて以来、100年の歴史を有する[1]。敷地面積は1.1万以上と日本に現存する撮影スタジオとしては最大規模とされる[1]。東映の社員全体の10分の一にあたる社員40人程度が在籍[1]。外部の協力会社も合わせて150人くらいが「撮影村」に関わる[1][注 1]

データ

編集
  • 名称 : 東映株式会社京都撮影所
  • 通称 : 太秦撮影所、東映太秦、東映京都など
  • 所在地 : 京都府京都市右京区太秦西蜂岡町9

略歴・概要

編集
 
航空写真(2020年8月19日(水曜日))。南西に撮影所前駅、南東に広隆寺が見える。

前史

編集
  • 1925年大正14年)5月2日、竹薮だった太秦の地を切り開き、阪東妻三郎プロダクションが自社の撮影所を建設[1]、「合資会社一立商店阪東妻三郎プロダクション太秦撮影所」としてオープン、太秦地区の初めての撮影所となった。同年12月末には、同プロダクションは株式会社に組織変更する。
  • 1930年昭和5年)、同撮影所は松竹に譲渡され、当時松竹傘下となっていた帝国キネマ演芸が使用し、「帝国キネマ太秦撮影所」となる。
  • 1931年(昭和6年)、帝国キネマが改組され、新興キネマが設立されると同時に、同撮影所は「新興キネマ京都太秦撮影所」となる。
  • 1942年(昭和17年)1月、新興キネマ、大都映画日活の製作部門の合併により、大映が設立されると同時に、同撮影所は「大映第二撮影所」となる。
  • 1947年(昭和22年)、東横映画発足、(大映との協定を結び、「東横映画京都撮影所」として)同社の撮影所となる。
  • 1951年(昭和26年)4月1日、東横映画太泉映画東京映画配給の3社が合併して、東映を設立、東横映画撮影所は「東映京都撮影所」に、太泉映画スタジオは「東映東京撮影所」に、東京映画配給の配給・興行の機構は、本社および支社、直営館として東映を構成した。

東映のスタジオとして

編集

1951年(昭和26年)の「東映京都撮影所」としての開所以来、多くの傑作を生み出した。土地柄とその伝統から、おもに時代劇を得意としているが、『木曜ミステリー』を中心とした現代劇テレビドラマ等も製作している[1]

1991年の年末、1992年年始のTV時代劇ブームでは、全18本のうち、10本を本撮影所で製作した[2]

テーマパーク「東映太秦映画村」を経営する東映京都スタジオは東映子会社であるが、別会社である[1]。東映京都スタジオは東映俳優養成所に所属する俳優のマネジメントも行なっていたが、2017年から京都撮影所に新設された俳優部へ業務が移管されている[3]

おもに時代劇のテレビ映画を受注製作する東映太秦映像も別会社だったが2016年に合併した。

2018年には、所内に分散していたポスプロ施設を集約して「ポスプロセンター」としてリニューアル。東京撮影所の「東映デジタルセンター」と大容量高速回線ネットワークで結んで作業の効率化を図る。

しかし、2021年現在では、時代劇の不人気や、CG技術の発達などにより、11あるスタジオの一部を松竹Netflixに貸し出すにとどまっており、東映が全くスタジオを撮影に使用しない時さえもある[4]

おもなフィルモグラフィ

編集

劇場用映画

編集

テレビ映画

編集

トラブル

編集

スタジオ火災

編集

2012年5月20日13時35分(JST)頃、第一ステージで火災が発生し鉄筋平屋約1,300m2が全焼、隣接する倉庫の壁も焼けた[5]。約250m離れている太秦映画村でも入場者が避難する事態となった。火災の原因は電気系統のトラブルと見られている。この火災による怪我人は出ていない[6]

特別背任

編集

2016年8月3日、イベント経費を水増し請求し会社に損害を与えたとして、元所長が特別背任容疑で京都府警に逮捕された。2015年9月4日、大型ショッピングモールでのアニメイベントに飾るイラストを受注した下請けの塗装業者に、作業した人数を7人から17人に水増しした虚偽の内容の請求書を提出させ、自ら決裁。会社に22万6800円の損害を与えた疑い。匿名の投書を受け東映が内部調査し、元所長が約1千万円の着服を認めたとして、2015年11月に懲戒解雇していた[7][8]

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 1960年前後の映画10億人興業時代は東映社員200人に対して臨時雇用社員が2000人いた時代もあった[1]。京都撮影所でこの半分程度だったと想定される[1]。1970年代には京都撮影所でも社員300人、全体で500人以上はいたと考えられる[1]

出典

編集
  1. ^ a b c d e f g h i j k 中山淳雄 (2023年11月2日). “【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第77回 100年の歴史を刻む東映京都撮影所、世界唯一無二である「時代劇」の趨勢”. gamebiz. ゲームビズ. 2023年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月15日閲覧。
  2. ^ 「トップインタビュー/岡田裕介 東映(株)代表取締役社長 /東映60年史」『月刊文化通信ジャーナル』2011年3月号、文化通信社、30頁。 
  3. ^ 東映俳優養成所”. 2018年6月22日閲覧。
  4. ^ Netflixにスタジオ貸し、専属俳優の月収は3万円以下、太秦「東映京都撮影所」存続の危機! (2021年11月15日) - エキサイトニュース(3/4)”. エキサイトニュース. 2022年7月19日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ 太秦の東映撮影所炎上…映画村の客ら避難”. YOMIURI ONLINE. 2012年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月21日閲覧。インターネットアーカイブ
  6. ^ 東映京都撮影所で火災 けが人確認されず”. MSN産経ニュース. 2012年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月21日閲覧。インターネットアーカイブ
  7. ^ “東映京都撮影所元所長、特別背任の疑い 人件費水増しか”. 朝日新聞. (2016年10月3日). http://www.asahi.com/sp/articles/ASJB33HZVJB3PLZB004.html 2017年10月1日閲覧。 
  8. ^ “東映京都撮影所の元所長を逮捕 アニメ関連イベント、水増し請求で特別背任容疑”. 産経新聞. (2016年10月3日). https://web.archive.org/web/20171001165008/http://www.sankei.com/smp/west/news/161003/wst1610030039-s1.html 2017年10月1日閲覧。 

関連項目

編集

外部リンク

編集

座標: 北緯35度0分56.5秒 東経135度42分13.9秒 / 北緯35.015694度 東経135.703861度 / 35.015694; 135.703861