徳大寺公弘
明治から昭和期の華族。正二位、貴族院公爵議員。徳大寺実則の長男
徳大寺 公弘(とくだいじ きんひろ[1]、旧字体:德大寺 公󠄁弘、1863年9月26日(文久3年8月14日[1]) - 1937年(昭和12年)1月4日[1])は、明治から昭和期の華族。正二位[2]、貴族院公爵議員。
経歴
編集山城国京都で徳大寺実則の長男として生まれる[1][3]。1885年(明治18年)外務省御用掛となり、さらに明宮(大正天皇)勤務となった[2][3]。1887年(明治20年)イギリスに留学[2]。父歿後、1919年(大正8年)6月30日に公爵の爵位を襲爵し[4]、貴族院公爵議員に就任[5]。火曜会に属して活動し、死去するまで在任した。
徳大寺家の屋敷は千駄ヶ谷にあったが、取巻達に翻弄されて手放さざるを得ず、神奈川県茅ヶ崎市へ転居した[6]。 1937年(昭和12年)1月4日薨去。享年75歳。墓所は父と同じく多磨霊園である[7]。
親族
編集系譜
編集東山天皇の男系八世子孫である。東山天皇の孫(閑院宮直仁親王の子)で鷹司家を継いだ鷹司輔平の男系後裔。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。
脚注
編集関連項目
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 人事興信所編『人事興信録』第10版 下、1934年。
日本の爵位 | ||
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先代 徳大寺実則 |
公爵 徳大寺家第2代 1919年 - 1937年 |
次代 徳大寺実厚 |