徳大寺公信
江戸時代初期から前期の公卿。従一位・左大臣。徳大寺家18代
徳大寺 公信(とくだいじ きんのぶ)は、江戸時代初期から前期の公卿。官位は従一位・左大臣。
時代 | 江戸時代初期-前期 |
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生誕 | 慶長11年7月15日(1606年8月18日) |
死没 | 貞享元年7月21日(1684年8月31日) |
官位 | 従一位、左大臣 |
主君 | 後水尾天皇→明正天皇→後光明天皇→後西天皇→霊元天皇 |
氏族 | 徳大寺家 |
父母 | 父:徳大寺実久、母:月明院(織田信長の娘) |
兄弟 | 公信、和田三正室 |
妻 | 吉川広正の娘・夏姫(毛利秀就の養女) |
子 | 実維、公規 |
経歴
編集慶長17年(1612年)に叙爵。以降清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従や左近衛中将を経て、寛永3年(1616年)には従三位となり公卿に列した。その後も権中納言や踏歌節会外弁を経て、寛永16年(1639年)には正二位権大納言となり、寛永17年(1640年)には神宮伝奏となる。明暦元年(1655年)に内大臣に任じられるも翌年に辞す。万治3年(1660年)には右大臣となり、その翌年に従一位を授与された。寛文8年(1668年)には左大臣へと昇進したが、翌年に辞職した。延宝3年(1675年)、70歳の時に出家して朝廷への出仕をやめた。貞享元年(1684年)79歳で薨去した(天和元年(1681年)薨去説もある)。