和田 三正(わだ ただまさ)は、江戸時代前期の武士

 
和田三正
時代 江戸時代前期
生誕 元和元年(1615年
死没 寛永19年3月24日1642年4月23日
改名 平作(幼名)、三正
戒名 転光院
官位 飛騨守
主君 池田忠雄
岡山藩鳥取藩
氏族 荒尾氏近江和田氏
父母 荒尾成房
和田正信
兄弟 荒尾成利荒尾嵩就三正荒尾久成
荒尾成政津田元匡
徳大寺実久
三信
テンプレートを表示

生涯

編集

元和元年(1615年)、荒尾成房の三男として誕生。元和2年(1616年)に死去した和田正信の養子として近江和田氏の家督を継ぐ。若くして池田忠雄の家老となり、寛永9年(1632年)の鳥取転封時には先に鳥取に向かい、土地の視察や屋敷地の確認などの諸事務を処理した。

若くして優れた才能の持ち主であり、将来が有望視されていたが、寛永19年(1642年)3月、江戸に向かう途中に突然発病し、京都に於いて没した。享年28。

室の徳大寺実久の娘との間には実子がなかったため、荒尾嵩就二男・平作を養子にして家督を継がせた。享年についても諸説あり、『因府録』所収の系図には享年21、「荒尾成文家譜」には享年42とある。本項では『鳥取藩史』着座家伝、『因府年表』記載のものを参考にした。

出典

編集
  • 鳥取県『鳥取藩史 第一巻 世家・藩士列伝』1969年
  • 鳥取県『鳥取県史 第6巻 近世資料』1974年
  • 鳥取県『鳥取県史 第7巻 近世資料』1976年