往生院 (長野市)
往生院(おうじょういん)は、長野県長野市大字鶴賀権堂町にある浄土宗の仏教寺院。山号は蓮池山。本尊は円光大師(法然)像。善光寺七名所の七寺(七院)のひとつである。また、善光寺七福神の弁財天がある。
往生院 | |
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御影堂 | |
所在地 | 長野県長野市大字鶴賀権堂町2321 |
位置 | 北緯36度39分06秒 東経138度11分11秒 / 北緯36.65167度 東経138.18639度座標: 北緯36度39分06秒 東経138度11分11秒 / 北緯36.65167度 東経138.18639度 |
山号 | 蓮池山 |
宗旨 | 浄土宗 |
本尊 | 円光大師(法然)像 |
開山 | 良忠 |
正式名 | 蓮池山往生院 |
札所等 | 善光寺七福神(弁財天) |
法人番号 | 6100005000335 |
善光寺本堂が焼失した際、その本尊・善光寺如来の仮の御堂として往生院が使われていた。そこから、この周囲の地名を「権堂」と言うようになったと伝えられる[1]。
歴史
編集平安時代の初め、弘法大師が善光寺に参詣した際、ここに寶乗寺という寺を開いたと言われているが、その寺はその後、衰えてしまった[1]。
もともと、この地は低湿地で、蓮池があった。建久8年(1197年)源頼朝が善光寺に参詣した時、ちょうどこの池の蓮が花盛りで、頼朝はその美しさに心惹かれたという。その2年後(1199年)、法然上人が蓮池のほとりに庵を構えて滞在した。その後間もなく、法然は京都に帰ってしまう[1]。
宝治2年(1248年)、法然の孫弟子の記主良忠が善光寺に参詣し、ここが法然上人ゆかりの地であることを知り、法然上人の像をまつる寺を建立した[2]。これが蓮池山往生院の開山をめぐる伝説である。
現在西町にある安養山極楽院西方寺は元々この地にあったといい、西方寺の末寺であるという[3]。また、秋葉神社 (長野市権堂町)も、もともと往生院の境内にあった[4]。
永正元年(1504年)、誠誉が西方寺を西町に移す。もとの地には弁天社および往生院が残る[2]。永生10年(1513年)誠誉が大破していた往生院を再興(寺伝)[2]。
善光寺本堂が寛永19年(1642年)5月に焼失した時、一時善光寺本尊をこの地に安置したといわれる[3]。それ以外にも幾度か本尊の避難場所、仮の御堂とされ、その際にはこの周囲が門前町としてにぎわった。仮の御堂のことを「権堂」と言ったので、このあたりの地名が権堂と呼ばれるようになったのだという(「権」には副とか2番目という意味がある)[1]。
境内
編集脚注
編集関連項目
編集善光寺七寺
善光寺七福神