康定市
康定市(こうていし)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州東部に位置する県級市である。
中華人民共和国 四川省 康定市 | |
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ラガン寺 | |
康定市の位置 | |
簡体字 | 康定 |
繁体字 | 康定 |
拼音 | Kāngdìng |
カタカナ転写 | カンティン |
チベット語 | དར་རྩེ་མདོ། |
ワイリー方式 | Dar-rtse-mdo |
蔵文拼音 | Darzêdo |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 四川 |
自治州 | カンゼ・チベット族自治州 |
行政級別 | 県級市 |
面積 | |
総面積 | 11,486 km² |
人口 | |
総人口(2004) | 11 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0837 |
郵便番号 | 626000 |
行政区画代碼 | 513321 |
ダルツェド、ダルツェムド、ダルツェンド(dar-rtse-mdo,Darzêdo, 打箭爐)あるいはダルド(dar mdo)とも呼ばれる。康定とは「康(カム)の地を平定する」という意味[疑問点 ]。
爐城鎮(ダルツェド)は市の政治・経済・文化の中心だが、カンゼ自治州全体の政治・軍事・文化・交通・通信などの中枢でもある。康定情歌という民謡でも知られる。
地理
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歴史
編集歴史上、ダルツェドは漢族とチベット族の間の貿易や物資集散の中心で、内地からチベットへ向かう際の門戸でもあった。四川とチベットの間では、茶と馬の相互取引(「茶馬古道」、「川蔵茶馬互市」)が盛んだったがその中心でもあった。
元代には世襲の諸侯が土官に任ぜられ長河西千戸、長河西招討司が設置された。明の永楽五年(1407年)には「長河西魚通寧遠宣慰使司」が設けられ、同じく世襲の職となった。明末の崇禎十二年(1639年)にはグーシ・ハーン(固始汗)がこの地方を征服したが、土司の統治範囲に営官が設置され、土司を通じた間接統治と営官を通じた統治の二重体制になった。清の康熙五年(1666年)、改めて土司が認められた。雍正八年(1730年)にはダルツェドに打箭爐庁が置かれた。光緒三十年(1904年)に打箭爐庁は康定府に昇格し、この際に「康定」の名が使われ始めた。
中華民国の成立後、府制を廃すると、康定府は康定県になった。1939年にチベット東南部カム地方を統治する西康省が成立すると、ダルツェドに省政府が置かれたが、西康省政府は従来この地を統治してきた諸侯らの反発を受けた。2015年3月16日、中華人民共和国国務院は康定県を廃止し、県級市である康定市を設置した。
言語
編集ダルツェドはチベット族、漢族、羌族、回族、イ族など多数の民族が雑居する。この地のチベット族は、チベット語のカム方言とアムド方言、および羌語系のムニャ語(木雅語)と貴瓊語を話す。
行政区画
編集区分 | 数 | 名称 |
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街道 | 2 | 爐城 楡林 |
鎮 | 5 | 姑咱 新都橋 甲根壩 貢嘎山 魚通 |
郷 | 10 | 塔公 沙徳 金湯 雅拉 麦崩 捧塔 普沙絨 吉居 呷巴 孔玉 |
交通
編集航空
編集- カンゼ康定空港 - 2008年には長さ4000mの滑走路のある康定空港が開港した。標高は4,280mと開港当時は世界で二番目の高所にある空港だった。成都双流国際空港(成都)から康定空港まで飛行機で約1時間。冬期以外、毎日運行している。
道路
編集画像
編集健康・医療・衛生
編集- カンゼ州人民医院
- カンゼ・チベット族自治州衛生学校附属医院
- 康定市人民医院
- 康定市第二人民医院