島津忠興 (薩州家)
島津 忠興(しまづ ただおき)は、戦国時代の武将。薩摩国島津氏の分家・薩州家4代当主。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 文明18年(1486年) |
死没 | 大永5年10月9日(1525年11月4日)[1]) |
別名 | 通称:又太郎、三郎太郎、八郎左衛門尉、薩摩守 |
氏族 | 島津薩州家 |
父母 | 父:島津成久 |
兄弟 | 忠興、興久 |
子 |
島津勝久正室、実久、禰寝清年室、忠辰、 忠兼、種子島恵時室、新納忠茂室、他3女 |
文明18年(1486年)、薩州家3代当主・島津成久(重久とも)の子として誕生。
明応9年(1500年)、薩州島津家に内乱が起き、敵対する島津忠福(大田氏祖・島津延久の次男または羽州家・島津有久の子か)の拠る加世田城を攻め、忠福に加勢した伊作久逸(島津忠良の祖父)を討ち取った。