島津成久
島津 成久(しまづ しげひさ、寛正5年1月15日(1464年2月22日) - 天文5年(1536年))は、薩摩国の戦国時代の武将。
島津薩州家3代当主。島津国久の嫡男。母は禰寝重清の娘。弟に大野忠綱、吉利秀久、寺山光久がいる。子に菱刈重副室、島津忠興、寛庭夫人(島津忠良室)、島津実久室などがいる。初名は忠貞。名は重久ともする。
生涯
編集明応7年(1498年)に父国久が死ぬと、その2年後にお家騒動が勃発する。子の忠興と共に加世田城の島津忠福を攻め、忠福に加勢した伊作久逸を討ち取る。
娘は8人いたとされ、長女は菱刈重副(菱刈氏13代当主、菱刈重猛・隆秋兄弟の祖父)に嫁ぐ。三女の御東は島津忠良に嫁いで島津貴久や忠将を産んだ。五女の妙朝は忠興の子の実久に嫁いで義虎を産む。
子の忠興に家督を譲り、隠居しながら後見していたが、忠興が先立って病没したため、孫の実久を後見した。