島津忠興
日本の江戸時代前期の大名。日向佐土原藩初代藩主島津以久三男で、佐土原藩2代藩主。従五位下右馬頭
島津 忠興(しまづ ただおき)は、江戸時代前期の武将・大名。日向国佐土原藩2代藩主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長5年5月29日(1600年7月9日) |
死没 | 寛永14年6月11日(1637年8月1日) |
改名 | 堯秀坊(幼名)、忠興 |
戒名 | 青蓮院殿崇誉原隆大居士 |
官位 | 従五位下右馬頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川秀忠、家光 |
藩 | 日向佐土原藩主 |
氏族 | 島津氏(佐土原家) |
父母 | 島津以久、松木氏 |
兄弟 | 彰久、入来院重時、花庭玉蓮大姉、忠興ら |
妻 | 丹生氏 |
子 | 久雄、久富、久遐 |
略歴
編集慶長4年(1599年)、初代藩主・島津以久の三男として誕生した。慶長15年(1610年)、父・以久が死去する。以久の嫡孫にして島津家久の三女で島津豊久の妹・宗鉄を正室に迎え、慶長7年(1602年)に宗鉄との間に島津久敏を儲けていた垂水島津家当主の島津久信(信久)が佐土原藩相続を辞退したことにより、忠興が以久の跡を継いで佐土原藩主となる。
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では徳川方として参戦したが、翌年の大坂夏の陣には遅参して間に合わなかったとされる。
寛永14年(1637年)、死去。跡を長男で幼少の久雄が継いだ。
系譜
編集父母
- 島津以久(父)
- 松木氏(母)
正室
- 丹生氏
子女