島津久儔
薩摩国薩摩藩宮之城島津家第12代
島津 久儔(しまづ ひさとも)は、江戸時代の日本の武士。薩摩国薩摩藩宮之城島津家第12代。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 天明8年3月11日(1788年4月16日) |
死没 | 文政10年6月20日(1827年7月13日) |
別名 | 図書(通称) |
墓所 | 鹿児島県宮之城町宗功寺 |
主君 | 島津斉宣→斉興 |
藩 | 薩摩国薩摩藩 |
氏族 | 島津氏 |
父母 | 父:島津久郷、母:島津久濃の娘 |
子 | 久中、久宝、養子:泰之進、範之進 |
家系
編集宮之城島津家家は、島津忠良の三男尚久に始まり、代々の当主の通称が「図書」で、忠長以降、薩摩国宮之城を領した。久方の代に一所持となり、久倫の代に大身分となる。家紋は宮之城十文字。
略歴
編集天明8年(1788年)薩摩藩宮之城前領主島津久郷の子として生まれる。母は先代久濃の娘。寛政8年(1796年)3月、藩主斉宣の加冠で元服。[1]
寛政9年(1798年)父久郷の死去により家督を相続する。文化3年(1806年)には前藩主斉宣の六男泰之進を、文化6年(1809年)には斉宣の九男範之進を養子に迎えるも夫々夭折した。
文化12年(1815年)2月、藩主斉興が久儔の屋敷に御成し、牧谿の掛け軸を献上した。[1]
文化13年(1816年)2月、斉興から狩野探幽の掛け軸を贈られた。[1]
文政10年(1827年)6月20日、死去。享年41。家督は長男久中が相続した。