島津久郷
島津 久郷(しまづ ひささと)は、薩摩国薩摩藩宮之城島津家第11代。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 明和2年8月4日(1765年9月18日) |
死没 | 寛政9年12月3日(1798年1月19日) |
別名 | 図書(通称) |
墓所 | 鹿児島県宮之城町宗功寺 |
主君 | 島津重豪→斉興 |
藩 | 薩摩国薩摩藩 |
氏族 | 島津氏 |
父母 | 父:島津久平 (久住)、母:肝付兼正の娘、養父:久濃 |
子 | 子:久儔 |
家系
編集宮之城島津家家は、島津忠良の三男尚久に始まり、代々の当主の通称が「図書」で、忠長以降、薩摩国宮之城を領した。久方の代に一所持となり、久倫の代に大身分となる。家紋は宮之城十文字。
略歴
編集明和2年(1765年)島津家家臣島津久平 (久住)の子として生まれる。幼名は「久当」。生家は、宮之城島津家第3代久元の次男島津(基多村家・宮之城二男家)久茂に始まる分家で、父久平 (久住)は分家第7代当主。
明和7年(1770年)6月に本家当主の久濃が継嗣無きまま没したため、藩命で宮之城島津家を相続して久濃娘を娶った。翌明和8年(1771年)11月に藩主重豪の加冠で元服し「又五郎」と名乗る。
天明3年(1783年)11月に代々の通称の「図書」と名乗る。
寛政9年(1798年)12月3日、死去。享年33。家督は長男久儔が相続した。