岩本絹子
岩本 絹子(いわもと きぬこ、1946年(昭和21年)ないし1947年(昭和22年)[1] - )は、日本の医学者(医学博士)、産婦人科医[2]。学校法人東京女子医科大学理事長を務めた[3]。
経歴
編集佐賀県唐津市出身[4]。1973年に東京女子医科大学を卒業し[5]、産婦人科に入局[2]。1977年に東京女子医科大学大学院を修了し[2]、学位論文『母児感染における新生児大腸菌感染症の発現機序に関する細菌学的研究』により医学博士を取得した[6]。
1979年に葛西中央病院産婦人科部長となった後、1981年に葛西産婦人科を開業して院長となり、2024年3月までその任にあった[2]。
東京女子医科大学の同窓会組織である「至誠会」の活動に関わり、1992年に社団法人至誠会理事、2004年に副会長を経て、2013年に一般社団法人至誠会会長に就任した[5]。
この間、2001年に学校法人東京女子医科大学評議員、2008年に理事となった[5]。2014年12月には、副理事長となって、財務担当理事、経営統括理事、法務担当理事、施設将来計画諮問委員長を兼務し、さらに2019年には理事長となって、プロポフォール事件などで揺らいでいた経営の立て直しに取り組んだ[3][5]。その一方で、岩本が、至誠会会長と学校法人東京女子医科大学理事長を兼ね、強い権限を振るっていたことを、ガバナンス上の重大な問題と考える者も出てきた[7]。
2023年4月、至誠会の臨時社員総会が、岩本の会長解任を決議した[7]。この動きを受けて、東京女子医科大学は、7月に至誠会との関係を解消し、新たな同窓会組織を立ち上げるといった一連の決定をおこない、混乱が広がった[7]。
2024年3月に至り、大学関係者からの刑事告発を受けた警視庁が、背任の疑いで大学本部や岩本の自宅を一斉捜索した[3]。容疑の内容は、2018年7月から2020年2月までの21回にわたり、新宿区にあるキャンパスの施設の建設をめぐって実態のないアドバイザー業務への報酬という名目で大学の資金を流出させ、1億1700万円の損害を与えたというものであった。大学の非常勤職員の肩書きをもつ一級建築士の口座を通じて報酬の一部を岩本自身に還流したと目されている[3]。
2024年8月の臨時理事会で、岩本は理事長を解任された[3]。2025年1月13日、警視庁捜査二課は、前述の資金を自身に還流した疑惑について、岩本を背任容疑で逮捕した[3]。
家族・親族
編集東京女子医科大学の創立者である吉岡彌生の親族であり、彌生の義弟・吉岡松造(吉岡医院長)の孫にあたる[4][8]。なお母・岩本薫(旧姓:吉岡)も同大学出身の開業医であった[5][8][9]。
吉岡家・岩本家
編集代々医師の家系[10]。本籍地は佐賀県東松浦郡入野村大字高串(現:唐津市肥前町)[10]。
- 高祖父・吉岡玄白(生年不明)
- 医師[10]。
- 曽祖父・吉岡玄雄(生年不明)
- 外祖父・吉岡松蔵(1874年(明治7年)5月2日生)
- 外祖母・吉岡俊子(生年不明)
- 父・不明(岩本氏)(生年不明)
- 母・岩本薫(1912年(大正元年)8月7日生)
親戚
編集- 義大伯母・吉岡彌生(1871年(明治4年)4月29日生)
- 大伯父・吉岡荒太(1868年(明治元年)12月8日生)
- 大叔父・吉岡正明(1884年(明治17年)10月13日生)
- 曽祖父・吉岡玄雄の四男。1914年(大正3年)大阪府立高等医学校(現:大阪大学大学院医学系研究科・医学部)卒[17]。1920年(大正9年)12月東京女子医学専門学校教授となり、1921年(大正10年)2月欧米留学、同年12月帰朝[17]。1922年(大正11年)4月東京女子医学専門学校理事(のち専務理事)、1933年(昭和8年)4月独逸協会中学牛込医師会各理事を歴任[17][18]。1949年(昭和24年)東京女子医科大学病院長に就任[17]。妻・房子は山崎巌の妹[19]。次男は東京女子医科大学学長の吉岡守正[17][18][20]。孫は同大学理事長(5代目)の吉岡俊正[18][21]。長女・恵美子は衆議院議員を務めた上塚司の長男・昭に嫁いだ[22]。
家系図(吉岡家・岩本家)
編集脚注
編集- ^ 2025年1月現在の報道で78歳とされている。
- ^ a b c d e 「医師のご紹介」医療法人社団薫誠会 葛西産婦人科。2025年1月13日閲覧。
- ^ a b c d e f 「東京女子医大 元理事長を逮捕 背任の疑い 医大の名門でなぜ?」日本放送協会、2025年1月13日。2025年1月13日閲覧。
- ^ a b 「創業家出身、逮捕の東京女子医大元理事長は「独裁者のような存在」」『毎日新聞』毎日新聞社、2025年1月13日。2025年1月13日閲覧。
- ^ a b c d e 岩本絹子「第一線で活躍している医学部卒業生 「至誠と愛」の精神を未来に継承していく」『Tokyo Women’s Medical University 東京女子医科大学 2022 医学部』(PDF)、24頁 。2025年1月13日閲覧。
- ^ 「母児感染における新生児大腸菌感染症の発現機序に関する細菌学的研究」『CiNii』国立情報学研究所。CRID 1920865334942230272。2025年1月13日閲覧。
- ^ a b c 齋藤麗子「当会の元会長に関する本日の新聞報道等について」一般社団法人至誠会、2024年3月29日。2025年1月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 医学公論社 (1957年). “日本医籍録 第25版(昭和32年)西日本版”. dl.ndl.go.jp. p. 3(佐賀県の部). 2025年1月14日閲覧。
- ^ a b c “東京女子医科大学八十年史”. dl.ndl.go.jp. 東京女子医科大学. p. 86 (1980年). 2025年1月14日閲覧。
- ^ a b c d e 吉岡弥生女史伝記編纂委員会 (1967年). “吉岡弥生伝”. dl.ndl.go.jp. pp. 190-191. 2025年1月14日閲覧。
- ^ a b 日本文化研究会 (1940年). “九州文化大観 第2版”. dl.ndl.go.jp. pp. 20-21(東松浦郡の部). 2025年1月14日閲覧。
- ^ シンシア 2014.No.3
- ^ “吉岡弥生伝”. dl.ndl.go.jp. 吉岡弥生女史伝記編纂委員会. p. 196 (1967年). 2025年1月15日閲覧。
- ^ a b c d 医事時論社 (1939年). “日本医籍録 昭和14年版 附録、醫學博士録、法規”. dl.ndl.go.jp. p. 6(佐賀県の部). 2025年1月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 佐賀新聞社 (1983年). “佐賀県大百科事典”. dl.ndl.go.jp. p. 831. 2025年1月14日閲覧。
- ^ a b “東京女子医大 岩本理事長解任 背景に「一強体制」 推薦入試や教員昇進は寄付金次第?”. テレ朝news. 2025年1月14日閲覧。
- ^ a b c d e 帝国秘密探偵社 (1962年). “大衆人事録 第22版 東京篇”. dl.ndl.go.jp. p. 852. 2025年1月14日閲覧。
- ^ a b c 人事興信所 (1968年). “人事興信録 第24版 下”. dl.ndl.go.jp. p. 34(よ之部). 2025年1月14日閲覧。
- ^ 発展社 (1928年). “大日本博士録 第4巻”. dl.ndl.go.jp. p. 768(医学の部). 2025年1月15日閲覧。
- ^ “医学書院/週刊医学界新聞 【第28回日本医学教育学会大会開催】 (第2203号 1996年8月19日)”. www.igaku-shoin.co.jp. 2025年1月14日閲覧。
- ^ “http://www.twmu.ac.jp/univ/”. 東京女子医科大学. 2025年1月15日閲覧。
- ^ 人事興信所 (1959年). “人事興信録 第20版 上”. dl.ndl.go.jp. p. 16(う之部). 2025年1月14日閲覧。
参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 第20版 上』人事興信所、1959年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第24版 下』人事興信所、1968年。