三井記念病院
東京都千代田区にある医療機関
社会福祉法人 三井記念病院(しゃかいふくしほうじん みついきねんびょういん、英語: Mitsui Memorial Hospital)は、東京都千代田区神田和泉町に所在する医療機関である。
三井記念病院 | |
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情報 | |
正式名称 | 社会福祉法人 三井記念病院 |
英語名称 | Mitsui Memorial Hospital |
前身 |
財団法人三井慈善病院 財団法人泉橋慈善病院 財団法人三井厚生病院 社会福祉法人三井厚生病院 |
標榜診療科 | 内科、脳神経内科、消化器内科、循環器内科、呼吸器内科、消化器外科、呼吸器外科、乳腺・内分泌外科、精神科、小児科、外科、心臓血管外科、脳神経外科、整形外科、眼科、耳鼻いんこう科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、放射線科、麻酔科、歯科、歯科口腔外科、病理診断科 |
許可病床数 |
482床 一般病床:482床 |
開設者 | 社会福祉法人 三井記念病院 |
管理者 | 川崎 誠治(院長) |
開設年月日 | 1906年10月 |
所在地 |
〒101-8643 東京都千代田区神田和泉町1番地 |
位置 | 北緯35度41分59秒 東経139度46分45秒 / 北緯35.69972度 東経139.77917度 |
二次医療圏 | 区中央部 |
PJ 医療機関 |
概要
編集三井家が創設したが、目的は三井財閥や三井グループの福利厚生ではなく、貧困者対象の無料施療機関[1]であった。現在は一般の保険医療機関で、各学会の専門医認定施設である。2023年4月17日時点、千代田区選挙管理委員会より、不在者投票のできる施設の一つとして指定されている。[2]
年表
編集- 1906年(明治39年)10月 - 三井家総代・三井八郎右衞門高棟が、「財団法人三井慈善病院」として設立する。
- 1909年(明治42年)3月 - 東京帝国大学第二医院跡に開院する。
- 1919年(大正8年)4月 - 「財団法人泉橋慈善病院」に改称する。
- 1943年(昭和18年)7月 - 「財団法人三井厚生病院」に改称する。
- 1952年(昭和27年)5月 - 「社会福祉法人三井厚生病院」となる。
- 1970年(昭和45年)4月 - 新病棟一期工事が竣工し、「社会福祉法人三井記念病院」に改称する。
- 1972年(昭和47年) - 新病棟が第13回BCS賞[3]に選定される。
- 2011年(平成23年)9月 - 100周年記念建替事業が竣工する。
- 2013年(平成25年)
- 10月 - 東京都「地域医療支援病院」に承認される。
- 12月 - 「東京都災害拠点病院」に指定される。
- 2015年(平成27年)
- 7月 - がん診療センターを設立する。
- 9月 - 地域連携型認知症疾患医療センターを設立する。
- 2016年(平成28年)
- 9月 - 心臓大動脈センターを設立する。
- 11月 - 医療施設認定合同機構 (Joint Commission International, JCI) 認定を得る。
診療科
編集先進医療
編集多焦点眼内レンズを用いた水晶体再建術
主な関係者
編集- 赤星隆幸 - 元眼科部長で、白内障手術の新術式「フェイコ・プレチョップ法」を開発する。
- 呉建 - 内科医局主任を歴任し、戦前にノーベル生理学・医学賞候補者に選定される。
- 小池龍平 - 元臨床工学技士で、臨床工学技士設立に携わっている。臨床工学技士ができる以前から人工心肺業務を行っていた。