山本理顕

日本の建築家 (1945-)

山本 理顕(やまもと りけん、本名は"みちあき"、1945年昭和20年)4月15日 - )は日本の建築家工学院大学教授、横浜国立大学大学院教授を経て、2011年より日本大学大学院特任教授。2018年より2022年まで名古屋造形大学学長。2022年より東京芸術大学客員教授。公益社団法人日本建築家協会(JIA)登録建築家。

山本理顕
生誕 (1945-04-15) 1945年4月15日(79歳)
中華民国の旗 中華民国 北京市
国籍 日本の旗 日本
出身校 日本大学
東京藝術大学大学院
東京大学大学院
職業 建築家
受賞 日本建築学会賞(1987、02年)
日本芸術院賞(2001年)
プリツカー賞(2024年)
所属 山本理顕設計工場
建築物 山川山荘
広島市西消防署
北京建外SOHO
熊本県営保田窪第一団地
広島市西消防署 2007年1月
公立はこだて未来大学
横須賀美術館
福生市庁舎

略歴

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主な受賞歴

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多数受賞作品を持つ。

文化庁長官表彰(国際芸術部門)[5]

主な作品

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名称 所在地 備考
/三平邸 1975年 14神奈川県横浜市   日本
/新藤邸 1977年 14神奈川県横浜市   日本
/山川山荘 1977年 20長野県南佐久郡   日本
/窪田邸 1978年 13東京都大田区   日本
/山本邸 1978年 14神奈川県横浜市   日本
/STUDIO STEPS(石井邸) 1978年 14神奈川県横浜市   日本
/勢能邸 1981年 13東京都世田谷区   日本
/藤井邸 1982年 14神奈川県横浜市   日本
/新倉邸 1983年 13東京都杉並区   日本
/佐藤邸 1983年 13東京都世田谷区   日本
/小俣邸 1985年 14神奈川県横浜市   日本
/きらら光ヶ丘店 1986年 13東京都練馬区   日本
/マルフジ南田園店 1986年 13東京都福生市   日本
/GAZEBO 1986年 14神奈川県横浜市   日本 日本建築学会賞(作品賞)
/大晃奥湯河原寮 1987年 14神奈川県湯河原町   日本
/マルフジ小作店 1987年 13東京都羽村市   日本
/ROTUNDA 1987年 14神奈川県横浜市   日本 日本建築学会賞(作品賞)
/HAMLET 1988年 13東京都渋谷区   日本
/若槻邸 1989年 14神奈川県鎌倉市   日本
/熊本県営保田窪第一団地 1991年 43熊本市中央区   日本 JIA25年賞

くまもとアートポリス

/葛飾の住宅 1992年 13東京都葛飾区   日本
/緑園都市 G.Fビル 1992年 14神奈川県横浜市   日本
/岡山の住宅 1992年 33岡山県岡山市   日本
/緑園都市 XYSTUS(ジスタス) 1992年 14神奈川県横浜市   日本
/緑園都市 OBERISK(オベリスク) 1993年 14神奈川県横浜市   日本
/緑園都市 LOGGIA(ロッジア) 1993年 14神奈川県横浜市   日本
/緑園都市 AMNIS(アムニス) 1993年 14神奈川県横浜市   日本
/緑園都市 PRADO(プラード) 1993年 14神奈川県横浜市   日本
/緑園都市 ARCUS(アーカス) 1994年 14神奈川県横浜市   日本
/緑園都市 CÕTE á CÕTE(コータ・コート) 1994年 14神奈川県横浜市   日本
/鎌倉の家 1995年 14神奈川県鎌倉市   日本
/山本クリニック 1996年 33岡山県岡山市   日本 JCD(日本商環境設計家協会)大賞
/岩出山中学校 1996年 04宮城県大崎市   日本 第39回毎日芸術賞
/横浜市下和泉地区センター・下和泉地域ケアプラザ 1997年 14神奈川県横浜市   日本 横浜優良建築設計者最優秀賞、神奈川県建築コンクール奨励賞
/埼玉県立大学 1999年 11埼玉県越谷市   日本 第57回日本芸術院賞、第10回公共建築賞優秀賞、第9回越谷市景観賞
/公立はこだて未来大学 2000年 01北海道函館市   日本 第54回日本建築学会賞作品賞、第9回公共建築賞国土交通大臣表彰、第26回北海道建築賞
/広島市西消防署 2000年 34広島市西区   日本 第9回公共建築賞優秀賞
/横浜市営住宅三ツ境ハイツ 2000年 14神奈川県横浜市   日本
/バンビル 2001年 15新潟県新潟市   日本
/東京ウェルズテクニカルセンター 2001年 22静岡県沼津市   日本
/Dクリニック 2002年 11埼玉県入間市   日本
/東雲キャナルコートCODAN1街区 2003年 13東京都江東区   日本
/北京建外SOHO 2003年 北京市   中国
/アルミ住宅プロジェクト 2004年 41佐賀県鳥栖市   日本
/公立はこだて未来大学研究棟 2005年 01北海道函館市   日本
/横須賀美術館 2007年 14神奈川県横須賀市   日本 2009年度日本建築家協会賞、第52回神奈川県建築コンクール最優秀賞
/ドラゴン・リリーさんの家 2008年 10群馬県   日本
/福生市庁舎 2008年 13東京都福生市   日本
/ナミックス・テクノコア 2008年 15新潟市北区   日本
/宇都宮大学オプティクス教育研究センター 2009年 09栃木県宇都宮市   日本
/パンギョ・ハウジング 2010年 城南市   韓国
/平田みんなの家 2012年 03岩手県釜石市   日本
/天津図書館 2012年 天津市   中国
/ソウル江南ハウジング 2014年 ソウル市   韓国
/横浜市立大学 YCU スクエア 2016年 14神奈川県横浜市   日本
/横浜市立子安小学校 2018年 14神奈川県横浜市   日本
/東京ウエルズテクニカルセンター 2019年 22静岡県沼津市   日本
/ザ・サークル atチューリッヒ国際空港 2020年 チューリッヒ   スイス
/名古屋造形大学 2022年 23愛知県名古屋市   日本

建築されなかった主な作品

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邑楽町庁舎
2002年5月に邑楽町の新庁舎建設の設計コンペで最優秀案を受賞したが、住民の反対や町長の交代等により解約された。またこれについて、国家賠償を請求したが、2009年6月に和解が成立した。
小田原市仮称城下町ホール
2005年10月に小田原市の仮称城下町ホールの設計コンペで選出されたが、住民の反対や市長の交代等により解約された。
天草市本庁舎
2013年9月に天草市の本庁舎建設のプロポーサルで最優秀賞を受賞したが、市長の交代等により解約された。

山本は、邑楽町や小田原市の事例について、韓国や中国等と比べ、日本は非常な後進国であると批評している[6]

ギャラリー

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文献

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著書

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その他

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山本事務所出身の建築家

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脚注

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  1. ^ a b プリツカー賞に山本理顕さん 名古屋造形大前学長、新校舎など手がける中日新聞2024年3月5日
  2. ^ 関東学院中学校高等学校の卒業生、山本理顕さんがプリツカー賞を受賞しました。”. 2024年3月6日閲覧。
  3. ^ 日経クロステック(xTECH) (2018年6月18日). “学生時代の論文が生涯の設計思想を決めた─山本理顕氏”. 日経クロステック(xTECH). 2024年3月15日閲覧。 “小林文次先生(建築史家)の研究室に進み、卒業論文では、ジョン・ラスキンやウィリアム・モリス、それとハーバード・リード(英国の詩人、文学・美術評論家)の著書を読んで、「装飾論」という論文を書きました。”
  4. ^ 山本理顕 横浜国立大学大学院/建築都市スクール“Y-GSA”教授退任記念+帰心の会 公開シンポジウム - イベント一覧 - 横浜国立大学”. www.ynu.ac.jp. 2024年4月2日閲覧。
  5. ^ 文化庁長官表彰(国際芸術部門)被表彰者を決定しました”. 文化庁 (2024年7月16日). 2024年9月20日閲覧。
  6. ^ 2009 東西アスファルト事業協同組合講演会

外部リンク

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