1949年長野県に生まれ、農家に育つ[4]。1973年農林省入省。同期の須賀田菊仁とエースと呼ばれ、次官候補であった[5]。各課の課長補佐を経て、1990年農蚕園芸局種苗課長。1997年に官房三課長の予算課長となる。2001年に生産局長となり水産庁長官から2006年、1970年入省の石原葵から3年スライドして事務次官となるが、2007年に遠藤武彦農水大臣の不祥事の影響もあり辞職する。
- 東京大学法学部卒業
- 1973年(昭和48年)4月:農林省入省
- 構造改善局農政部管理課課長補佐(企画班担当)
- 大臣官房予算課課長補佐(予算編成班担当)
- 農林水産大臣秘書官事務取扱
- 農林水産省食品流通局企業振興課外食産業室長
- 1990年(平成2年)7月:農林水産省農蚕園芸局種苗課長
- 1991年:農林水産省経済局農業協同組合課長
- 食糧庁管理部企画課長
- 食糧庁総務部企画課長
- 1996年(平成8年):水産庁漁政部漁政課長
- 1997年(平成9年):農林水産省大臣官房予算課長
- 1999年:水産庁漁政部長
- 2001年(平成13年):農林水産省生産局長
- 農林水産省大臣官房総括審議官
- 2003年:農林水産省大臣官房長
- 2005年(平成17年)7月:水産庁長官
- 2006年(平成18年)8月:農林水産事務次官
- 2007年(平成19年)9月:辞職
- 株式会社農林中金総合研究所顧問
- 2015年(平成27年)7月:一般財団法人大日本蚕糸会会頭[6]
- 同期には須賀田菊仁(生産局長、経営局長。病気により死去)、篠原孝、関川和孝(食糧庁総務部長、東北大法卒)、林正徳(統計情報部長、横国大経卒)らがいる。