岩城隆時
戦国時代の武将 (?-1570)
(富岡隆時から転送)
岩城 隆時(いわき たかとき)は、戦国時代の武将。岩城常隆の子。陸奥国富岡城主。富岡隆時とも。大永4年(1524年)[5]に相馬顕胤に奪還された木戸城(楢葉町)、富岡城(富岡町)を元亀元年(1570年)[1]に顕胤の嫡子・相馬盛胤を攻めて再び取り返し[6]、楢葉郡を岩城領として回復して富岡岩城家の祖とされた。引用元には元亀元年(1570年)3月20日[1]、60歳で病没したと記述されている。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 永禄13年[1]3月20日(1570年4月25日) |
別名 | 富岡隆時 |
戒名 | 龍台寺殿貴山田公大居士 |
墓所 | 福島県双葉郡富岡町大字小浜の龍台寺 |
主君 | 岩城常隆、岩城由隆、岩城重隆 |
氏族 | 岩城氏 |
父母 | 父:岩城常隆 |
兄弟 |
盛隆、由隆、船尾隆相、菊田隆道、 富岡隆時、田村義顕室、那須政資室、喜山妙悦禅完尼[2](佐竹義舜正室)、上遠野長秀室、など計50人[3][4] |
子 | 岩城隆宗(富岡隆宗) |
脚注
編集- ^ a b c 3月20日はまだ永禄年間であり、4月23日に元亀へ改元された。こちらの凡例(右)では永禄13年と訂正している。
- ^ 『常陸三家譜』
- ^ 『諸家系図纂』
- ^ 「磐前腹、下總守、御子數五十人、」
- ^ 天文3年(1534年)とする記事も見られる。『落人の夜話』
- ^ 『姓氏家系大辞典』でも相馬氏の史料『奥相秘鑑』によれば、木戸、富岡の2城は元亀元年(1570年)に岩城勢に取り返されたとされている。この年は下記出典の『反保炭礦』によれば、この2城を落とした岩城隆時の没年(享年60歳)とされている。主君・岩城重隆の没年も前年(1569年)であり、『奥相秘鑑』に記された2城の落城の年がそれより前である可能性がある。
出典
編集- 『反保炭礦』最後の戦国武将 内藤帯刀忠興 武功立藩(上巻)第八章 富岡岩城氏 大永四年(1524年)~
- 『姓氏家系大辞典、第2巻 富岡 5』 - 国立国会図書館デジタルコレクション。
- 『落人の夜話』日向館と富岡城 富岡町の境目の城(閲覧日2019年3月3日)