宮本 邦彦(みやもと くにひこ、1953年2月17日[2] - 2007年2月12日)は、日本警察官[1]ときわ台駅での人命救助の際に殉職した[1]。死亡時の階級は警視庁巡査部長(死後に二階級特進で警部に昇進)で[3]、ときわ台駅近くの板橋警察署常盤台交番に勤務していた[4][5]。位階は正七位

みやもと くにひこ

宮本 邦彦
宮本邦彦警部を追悼する「誠の碑」
生誕 (1953-02-17) 1953年2月17日
日本の旗 日本 北海道札幌市
現況 死去
死没 (2007-02-12) 2007年2月12日(53歳没)[1]
日本の旗 日本 東京都板橋区[1]
職業 警視庁警察官
肩書き 警視庁巡査部長(死後警部に二階級特進)
栄誉 正七位
旭日双光章
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生涯

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生誕

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1953年昭和28年)2月17日、北海道札幌市に生まれる。運動が苦手な子供だったらしく、父親が作った鉄棒も使えないほどだった。中学生になると新聞配達を始め、父親に手伝ってもらった際「少し手伝ってやろう。一旦始めたからには途中で投げ出すなよ。『伏してぞ止まん』だぞ、邦彦!」と言われ、この「伏してぞ止まん」という言葉が宮本の座右の銘になったという[2]。また、宮本は姉弟と3人で父親の晩酌徳利に湯を入れるいたずらをした。これを飲み干した父親は3人を怒鳴りつけ、これを見かねた母親は「今日は4月1日エイプリルフールですよ。あまり厳しく叱らないで」というと、父親は「かあさん、そんな言い訳で子供たちを庇うんじゃない。世の中は嘘やサギまがいがまかり通っているが、せめて家族の間でだまし合いだけはいやなんだ」といった。母親はこれに 「家族はいつも信頼し合うのが、とうさんとかあさんの願いですからね」といった。この言葉は宮本にとってずっと忘れられないことだった[2]

警察学校

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札幌光星高等学校から北海学園大学経済学部海保幸世ゼミ所属[6])に進学した宮本は、1976年(昭和51年)に大学を卒業して警視庁に採用された。警察学校時代の宮本は特に剣道が苦手だったが、毎晩のように居残り稽古をしていたという。無事、初段を獲得することができ、卒業することができた。その後も稽古を重ね、ついには三段になっていた。

宮本が警察官になってまもなく、警察学校の同期らの間で将来の志望が話題になった。多くの同僚が刑事機動隊になりたいと言う中で宮本は駐在所勤務になりたいといった。同期らは「宮ちゃん(宮本の愛称)らしいな」と揃って笑ったという。

宮本は卒業アルバムに「誠実 誠心 誠意」と記していた。

警察学校卒業後

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警察学校を卒業した宮本は1976年(昭和51年)4月に大森署の警ら課(後の地域課)に配属され、1980年(昭和55年)4月には第6機動隊に配属された[7]。その後、1983年(昭和58年)9月には町田署地域課に配属され、南大谷駐在所に勤務する[7]1994年平成6年)12月には巡査部長に昇任し、1998年(平成10年)3月には千住署に配属され、地域課や警務課留置係に勤務した[7]2004年(平成16年)2月から板橋署に配属され、2005年(平成17年)2月から事故現場付近の常盤台交番で勤務していた[8][7]

1985年(昭和60年)に結婚し、翌1986年(昭和61年)には長男が生まれた。彼はよく「時間が出来たら家族とキャンピングカーを買って、家族で日本中を巡るぞ。」と言っていたという。事故当時は埼玉県春日部市で暮らしていた[8]

殉職

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2007年(平成19年)2月6日19時すぎ、宮本はときわ台駅に隣接する常盤台交番に1人でいたところ[4]、通行人から「女性が線路内に入っている」と通報を受け、女性が駅ホームに隣接する踏切内にいるのを確認した[5]。宮本は女性を説得して踏切から連れ出し、一時は交番まで連行したが、女性は交番を駆け出して再び踏切に入り[4]、警報機が鳴り出しても踏切内で立ち止まっていた[5]。宮本はすぐに後を追い、危険を回避するために女性をホームの下に押し入れようとしていたところ、駅を通過する池袋小川町行きの急行電車(10030系11642F+11447Fの10両編成)にはねられた[4]

女性は腰の骨を折るなどの重傷を負ったが一命は取り留めた[1]。一方、宮本は頭を強打して重体に陥り、事故から6日後の2月12日に板橋区内の病院で死亡(殉職)した[1]。53歳没[1]。同月17日に54歳の誕生日を控えていた矢先の死だった[8]

死後

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参考文献

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  • 山口秀範『伏してぞ止まん ぼく、宮本警部です』2008年、高木書房ISBN 978-4884714079 - 宮本の生涯を題材とした絵本。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 女性助けようとして重体の警察官が死亡 東京・板橋」『asahi.com朝日新聞東京本社、2007年2月12日。オリジナルの2007年2月14日時点におけるアーカイブ。
  2. ^ a b c 山口秀範『伏してぞ止まん ぼく、宮本警部です。』p.
  3. ^ 【宮本警部殉職10年】踏切内で人命救助、警察官魂受け継ぐ 後輩「躊躇しない覚悟」」『産経ニュース産経デジタル、2017年2月5日、1面。オリジナルの2023年7月17日時点におけるアーカイブ。2023年7月17日閲覧。
  4. ^ a b c d 踏切事故:女性助けようと警官も重体 東武東上線」『毎日新聞毎日新聞東京本社、2007年2月6日。オリジナルの2007年2月8日時点におけるアーカイブ。
  5. ^ a b c 東武東上線で女性と、助けようとした警察官巻き込まれる」『asahi.com』朝日新聞東京本社、2007年2月7日。オリジナルの2007年2月7日時点におけるアーカイブ。
  6. ^ 北海学園大学学報69号、2007、p3
  7. ^ a b c d 産経新聞』2007年3月1日東京朝刊第一社会面「【この道】殉職・宮本邦彦警部(上)無私の心」(産経新聞東京本社
  8. ^ a b c 『毎日新聞』2007年2月13日東京夕刊社会面11頁「東京・板橋区の東武線事故:女性救助の警官死亡 地域に愛され…交番には記帳の列 140件超す手紙や千羽鶴、願いは届かず」(毎日新聞東京本社)
  9. ^ 『読売新聞』2007年3月2日東京朝刊第三社会面37頁「殉職の宮本警部に勲章/政府」(読売新聞東京本社)
  10. ^ 『読売新聞』2007年3月16日東京朝刊都民第二面32頁「殉職・宮本警部に知事顕彰=東京」(読売新聞東京本社)
  11. ^ 『読売新聞』2007年2月15日東京朝刊埼玉南版31頁「救助で事故死の巡査部長・宮本さん、春日部市が善行表彰=埼玉」(読売新聞東京本社)