宗方熈
対馬府中藩7代藩主
宗 方熈(そう みちひろ)は、対馬国府中藩7代藩主。歴代藩主の中で唯一「義」(宗氏の通字)が名前につかない人物であるが、「方」の字は兄・義方(第5代藩主)からの偏諱である。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄9年9月27日(1696年10月22日) |
死没 | 宝暦9年11月30日(1760年1月17日) |
改名 | 竹寿(幼名)、樋口方熈、宗方熈 |
別名 | 主馬(通称) |
戒名 | 清浄院殿涼地心水大居士 |
墓所 | 長崎県対馬市厳原町国分の万松院 |
官位 | 従四位下、侍従、対馬守、民部大輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 対馬府中藩主 |
氏族 | 宗氏、樋口氏、宗氏 |
父母 | 父:宗義真、母:慈眼院 |
兄弟 | 義倫、古川真言、義方、多田倫寛、義誠、方熈、高瀬行方、日野資成室、常、六、家ら |
妻 | 樋口真連の娘普照院、古賀九郎左衛門の娘 |
子 | 樋口如連、高瀬蕃常、与曽、義如 |
生涯
編集元禄9年(1696年)9月27日、第3代藩主・宗義真の九男として生まれる。はじめ臣下の樋口真連(さねつら)の婿養子となり、樋口方熈(主馬)と称した。しかし享保15年(1730年)11月に兄で第6代藩主の義誠が死去したため、その養子となり、享保16年(1731年)2月21日に家督を相続する(この時も特に改名していない)。4月に従四位下、侍従・対馬守に叙位・任官した。
しかし、方熈は義誠の嫡男・義如が成長するまでのつなぎ的な存在だったため、享保16年(1732年)に義如が17歳になったことを契機として、9月11日に家督を義如に譲って隠居した。このとき、民部大輔に遷任する。
宝暦9年(1759年)11月29日、対馬府中で死去した。享年64。樋口家は義如から偏諱を受けた長男・如連(ゆきつら)が相続した。