日野資成
日野 資成(ひの すけなり)は、江戸時代前期の高家旗本。高家日野家2代目。初めは松尾資成と称した。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 正保2年(1646年) |
死没 | 享保11年8月6日(1726年9月1日) |
改名 | 資成→唯恵(号) |
別名 |
通称:権十郎 松尾資成 |
戒名 | 日恵 |
官位 | 玄蕃允 |
幕府 | 江戸幕府 高家旗本 |
主君 | 徳川家光→家綱→綱吉→吉宗 |
氏族 | 日野家 |
父母 | 父:日野資栄、母:堀親良娘 |
兄弟 |
資政、資成、松尾資長、最上内膳室、 長井正供室、木村季林室 |
妻 | 正室:甘露寺方長養女 |
子 |
女(木下寅亮室)、女 養子:資鋪(上田重次子)、松尾資長 |
概要
編集寛文9年(1671年)閏10月10日に初めて徳川家綱に拝謁した。元禄10年(1697年)7月6日に家を継いで表高家となった。宝永7年(1710年)12月16日に致仕し、唯恵を名乗った[1]。