姉小路 尹綱(あねがこうじ ただつな)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての公家[1]武将左少将姉小路頼時の子。官職左京大夫宰相入道と号した。

 
姉小路尹綱
時代 南北朝時代 - 室町時代初期
生誕 不明
死没 応永18年9月3日1411年9月20日)?
別名 古川尹綱、宰相入道
官位 左京大夫?
主君 長慶天皇
氏族 姉小路家
父母 父:姉小路頼時
尹家
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経歴

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飛騨国吉城郡古川郷(現在の岐阜県飛騨市)に居住して古川氏を称す[2]

南朝方の武将であり、応安4年/建徳2年(1371年越中国新川郡黒瀬日宮で北朝軍と交戦して、伯父の家綱と共に捕虜となる[3]

南北両朝の合体条件の不履行に関する飛騨国の山科家領を巡る争いから、応永18年(1411年)飛騨国古川城にて挙兵する[3]

室町幕府4代将軍足利義持が派遣した京極斯波小笠原各氏で編成された追討軍に対して、広瀬高堂城広瀬氏と共に抗したが、同年9月3日に京極高数らに攻められ戦死した[4][1][2]飛騨の乱)。

脚注

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  1. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『姉小路尹綱』 - コトバンク
  2. ^ a b 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『姉小路尹綱』 - コトバンク
  3. ^ a b 『鎌倉・室町人名辞典』
  4. ^ 没日は8月(『朝日日本歴史人物事典』)、7月28日(「飛騨国司系図」『続群書類従』、『系図纂要』)など諸説ある。

参考文献

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