奴隷制度に対するキリスト教徒の見解
奴隷制度に対するキリスト教徒の見解(どれいせいどにたいするキリストきょうとのけんかい)では、奴隷制度に対するキリスト教の聖職者、神学者の見解を説明する。
奴隷制度に関する議論は歴史的に多岐に渡る。初期キリスト教が成立した古代ローマでは奴隷制度は一般的であり[1][注釈 1]、教父、聖職者によって様々な言及がなされてきた。
奴隷も自由人もないというガラテヤ 3:28、人を神のかたちに創造したとする創世記1:27[4]、自由意志の教義[5]、奴隷制度を原罪に起因するものとして批判したアウグスティヌス[6]、奴隷制が人間の自然な権利を侵害すると論証した歴史上最初の人物とされるニュッサのグレゴリオス[7]、キリスト教を普遍主義、自由、尊厳の源流として、普遍的人権が成立するための前提条件だったとする見解[8][9][7][10]の一方で、聖書の一節が奴隷制度廃止論者と奴隷制度容認論者の両方から引用されることがあった[11]。
聖書における奴隷
編集旧約聖書および新約聖書では、奴隷のことを労働者、預言者、神に対する態度の別名として使用することがあった[12][注釈 2][注釈 3]。
聖書注釈者は新約聖書が書かれた紀元1世期の古代ローマにおいて奴隷制度廃止はありえないことであり、所有者の権限を制限し神の被造物の間において、奴隷が対等と見られるための権利を保持するよう働きかけることで、奴隷制に影響を与えようとしたと考えている。聖書において奴隷制度廃止は明言されていないが、聖書の根底にある教義(神のかたちに人を創造、キリストの犠牲、最後の審判)が、人間が他の人間を所有できないことを意味していると主張する[13]。
聖書を社会的枠組みとしての文化から再構築する試みも行われており、クリフォード・ギアツによる文化人類学的なアプローチは宗教を文化的体系と捉えることで[14]、ウェイン・A・ミークスやジョージ・リンドベックといった聖書学者や歴史神学者に影響を与え、文化的転回をパウロ研究にもたらしたとされる[15][16]。多くの聖書学者、神学者はユダヤ教とヘレニズムとの人工的な文化的二項対立を否定し、ヘレニズムは単なる環境でなく、パウロや初期キリスト教徒のアイデンティティに不可欠なものだと合意している[17][注釈 4]。一例として聖書における奴隷を理解するには、1世紀古代ローマ、ヘレニズムの一部としてのパウロを社会的に再構成する必要がある。
9:19 わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。 — コリント人への第一の手紙(口語訳)#9:19
文化的転回を適用するならば、アウグストゥスが独裁官就任の申し出を拒否することで権威を得たように、パウロもまた権力(ポテスタス)を放棄することで、指導者としての権威(アウトクリタス)を得たと解釈でき、古代ローマの文化的規範を破壊したのではなく参加したと考えることが可能になる[18]。
旧約聖書
編集キリスト教徒の奴隷制度廃止論は旧約聖書解釈からも派生している。ニュッサのグレゴリオス(335年頃 - 394年以降)はコヘレトの言葉の解釈から、神のものであるものを私有財産とすることを人間の驕りとし、奴隷の所有を傲慢だと非難した。さらに自由と自律を本性とする人間を奴隷にすることを否定し、奴隷制度を批判した[7][注釈 5]。
紀元前2世紀、ユダヤ教エッセネ派は奴隷制度を不当と考え、拒否したとの報告があるが、詳しい資料が残されておらず経緯は知られていない[19]。
旧約聖書にはヘブライ人奴隷(または年季奉公人)の法的権利を定める聖句がある。
2 あなたがヘブルびとである奴隷を買う時は、六年のあいだ仕えさせ、七年目には無償で自由の身として去らせなければならない。3 彼がもし独身できたならば、独身で去らなければならない。もし妻を持っていたならば、その妻は彼と共に去らなければならない。 — 出エジプト記(口語訳)21:3
奴隷が危害を加えられたなら、負傷した奴隷は代償として解放された。
26 もし人が自分の男奴隷の片目、または女奴隷の片目を撃ち、これをつぶすならば、その目のためにこれを自由の身として去らせなければならない。27 また、もしその男奴隷の一本の歯、またはその女奴隷の一本の歯を撃ち落すならば、その歯のためにこれを自由の身として去らせなければならない。 — 出エジプト記(口語訳)21:26-27
一定期間の奉公後に解放が定められている。
12 もしあなたの兄弟であるヘブルの男、またはヘブルの女が、あなたのところに売られてきて、六年仕えたならば、第七年には彼に自由を与えて去らせなければならない。13 彼に自由を与えて去らせる時は、から手で去らせてはならない。14 群れと、打ち場と、酒ぶねのうちから取って、惜しみなく彼に与えなければならない。すなわちあなたの神、主があなたを恵まれたように、彼に与えなければならない。 — 申命記(口語訳)15:12-14
奴隷とするために誘拐を行う者に対しては厳しい罰が与えられた。
7 イスラエルの人々のうちの同胞のひとりをかどわかして、これを奴隷のようにあしらい、またはこれを売る者を見つけたならば、そのかどわかした者を殺して、あなたがたのうちから悪を除き去らなければならない。 — 申命記(口語訳)#第24章
新約聖書
編集ローマ帝国にとってキリスト教の存在は未知の脅威であり、キリスト教は予断を許さない危険な状況にあった。パウロは難しい立場におかれており、キリスト教徒が善良な市民として、古代ローマの伝統的な社会規範、家庭内の秩序、つまり妻、子供、奴隷の服従を支持することを証明しなければならなかった[20][21]。
古代ローマでは奴隷制度は一般的であり全人口の3分の1が奴隷だったと主張する学者もいる[22][23][24]。紀元一世期のキリスト教徒の多くが奴隷または、奴隷の所有者、自由市民であり、彼らが集まって最初の教会を形成した[25]。パウロは人種、民族、宗教、地位、経済格差、ジェンダー等の分断について述べている[25]。
3:27 キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。3:28 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。 — ガラテヤ人への手紙(口語訳)#3:27
パウロは古代ローマの伝統的社会規範に忠実であることを示そうとするために、古代ギリシャの哲学者等が家事における社会的序列を定めた指針を継承した[26][21]。しかし奉仕の背後にある心的動機、下位者に対する思いやりが、神のために行われるという独特の視点を付加した[27]。
主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです — エフェソの信徒への手紙 6 新共同訳
この他にも類似した句が存在し、キリスト教徒の主人は当時のローマの社会的慣習に反して妻、子供、奴隷に対して法律上の絶対権力を行使できなくなったことが示唆されている[28][21]。
パウロは奴隷所有者であるピレモンに対して、何らかの犯罪をして逃亡していた奴隷のオネシモを霊的な兄弟として迎え、解放するよう懇願している。またオネシモによって生じた損害の返済を申し出ている。ピレモンに社会制度に反して関係を見直すよう促しつつ、自ら何をすべきかを考えさせた[29]。
1:16 しかも、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上のもの、愛する兄弟としてである。とりわけ、わたしにとってそうであるが、ましてあなたにとっては、肉においても、主にあっても、それ以上であろう。1:17そこで、もしわたしをあなたの信仰の友と思ってくれるなら、わたし同様に彼を受けいれてほしい。 — ピレモンへの手紙(口語訳)#1:16
ピレモンへの手紙は、二人のキリスト教徒の対立関係に対処せざるをえない困難な判断をせまられる状況から、自らの力で変えることができない社会的現実の中で最善を尽くし生きていかなければならないことをキリスト教徒に思い起こさせ、自分にとって何が可能かを信者一人ひとりの決定にゆだねることにした[25][29]。
新約聖書の句には奴隷制度廃止論者と奴隷制度推進論者の双方によって使われたものがある[11]。
7:21 召されたとき奴隷であっても、それを気にしないがよい。しかし、もし自由の身になりうるなら、むしろ自由になりなさい。7:22 主にあって召された奴隷は、主によって自由人とされた者であり、また、召された自由人はキリストの奴隷なのである。7:23あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。人の奴隷となってはいけない。 — コリント人への第一の手紙(口語訳)#7:21
奴隷制度廃止論者はこの節を、逃げ出す機会があれば能動的に自由を手にいれ、現状を変えられない場合は所有者に忍耐強く耐えて順調にやっていくようパウロが述べたと解釈したが、奴隷制度推進論者は法的に解放されるまで、奴隷の身分にとどまるべきと解釈した。この節の解釈を巡る論争がアメリカを南北戦争に追い込んだと考える学者もいる[30]。
初代教会
編集初代教会の時代、キリストの再臨への期待から、奴隷制度に反対する立場を持つ神学者、教父がおり、奴隷制度が神のかたちを持つ万人の尊厳に反すると考えた。アンティオキアのイグナティオス、ポリュカルポスは奴隷制度に反対しており、一部のキリスト教徒も洗礼時に奴隷の解放を行っている[31][32]。
教父時代
編集アウグスティヌスは、奴隷制度は神の意志に反しており、原罪に起因したものであると説明した[6]。
多数の教父達が奴隷解放を目標としたが、ニュッサのグレゴリオス(335頃-394)は奴隷制そのものを否定した[33][34]。グレゴリオスは奴隷制の基本的不当性を論証した最古の人物として知られており[注釈 6]、キリスト教の価値観に基づいた普遍的な尊厳を根拠として奴隷制廃止論を展開した[35]。グレゴリオスは初期キリスト教徒の時代から重視されてきた自由意志に加え、ユスティノスやオリゲネスを引用して、人間の本性が自由で自律的と表現し神が自由な存在として人間を創造したことを強調した[36]。
元奴隷の宣教師聖パトリックは改宗したキリスト教徒を奴隷とした国王クロティカスを破門した[37]。聖パトリックと教会の影響力によって、アイルランドでは奴隷制度が廃止された[38]。
ローマ皇帝ユスティアヌスの治世において、司教や公職者による奴隷の無償解放(主人の許可は不要)が法制化された[39]。エルサレムのペラギアは奴隷解放によって称賛され[40]、聖エリギウス(588-650)は奴隷解放のために私財を投じている[41]。
キリスト教以前の古代の社会には人道的な概念はあったとしても、現代の普遍的人権の概念に相当するものは見られなかった[42]。キリスト教が古代ローマの国教となると、奴隷制度が社会慣習として存在する残酷な世界と福音の不調和にキリスト教徒は指導者として直面することになり、キリスト教化された社会で育った世代の神学者や聖職者達は奴隷制が人間の本性である自由や尊厳を侵害しないかを本格的に検討するようになった。この時期のキリスト教の聖職者や政治家がジョン・ロック的な自然権の概念に至ることは無かったが、イマヌエル・カント的な普遍主義、自由、尊厳[注釈 7]といった人権の構成要素を見出すことができる[9]。特にカントの尊厳は絶対主義的な性質を帯びており、あらゆる利害関係を超越した万人の権利を構想するには、社会のキリスト教化が前提として不可欠だったと主張する学者がいる[8][9]。
現代的な人権概念(普遍主義、自由、尊厳)に到達するには、長い準備段階が必要であり、かつて疑問の余地のなかった搾取や貧困、そこから派生する奴隷制度が初めて摩擦を起こしたのが、キリスト教化されたローマの教父時代であった。キリスト教神学者と奴隷制度の間に起きた衝突が基本的な道徳的価値観を育て、知的資源としてカント等の啓蒙主義者によって活用されたと考えられている[10]。
東ローマ帝国
編集中世から近世
編集中世ヨーロッパでは大部分のキリスト教化によって奴隷制度は事実上廃止された[47]。またキリスト教化の枠組みを越えた普遍的な奴隷廃止運動が行われたことも知られている[注釈 8]。9世紀のアンスガルはバイキングによる奴隷貿易に反対し、10世紀のベネチア共和国の司教も奴隷貿易の廃止に取り組んだ。ヴルフスタン、アンセルムスによって奴隷制度の禁止は強化された[48][注釈 9]。
中世ヨーロッパにおいて奴隷はまれであったが、13世紀以降、アリストテレスの知能と人種にもとづくある種の奴隷制[49][50]がトマス・アクィナスによってキリスト教神学に導入された。アリストテレスの自然奴隷論はフアン・ヒネス・デ・セプルベダがバリャドリッド論争において、バルトロメ・デ・ラス・カサスに対抗して用いている[51]。
15世紀後期から16世紀前期まで奴隷制が教皇によって認められる期間が続いた。西アフリカでの奴隷制はニコラウス5世、カリクストゥス3世によって容認され、アレクサンデル6世のインテル・カエテラ(1493年5月4日)によって、それ以前の勅書は再承認され、アメリカの先住民にまで拡大された[52][53][54][55]。
1537年、パウルス3世はスブリミス・デウスを公布したことにより、それまでの教皇勅書を更新したアレクサンデル6世のインテル・カエテラの効果を無効とした[56][57][58][59]。スブリミス・デウスは人権における「マグナカルタ」とも評されており、それ以前の教皇勅書をくつがえす画期的なものだった[56]
アメリカ大陸の奴隷制
編集イエズス会はアメリカ先住民を奴隷制度から守るために「レダクシオネス」をパラグアイで設立した[60]。ローマ・カトリック教会では、1741年のベネディクトゥス14世、1815年のピウス7世、1839年のグレゴリウス16世、1850年のピウス9世、1888年のレオ13世の声明では奴隷制度への非難がおこなわれた[61][62]。
米国
編集17世紀初頭、アメリカでの奴隷制は年季奉公に限られており、黒人奴隷の法的地位は白人と変わりなかったが、1680年代頃から人種的偏見に動機づけられた社会制度へ変容していった[63][64]。1667年、バージニア州議会は洗礼を根拠として奴隷の地位が変更されないとの法令を制定した[65]。
クエーカーは奴隷廃止運動を1688年から行っており、その神学的議論や宗教的実践にも反映されるようになった[66]。
奴隷制度廃止運動にはキリスト教関係者が多く参加していたことが知られている[67]。万人の平等を掲げる奴隷廃止論者の中にウィリアム・ウィルバーフォース[68][69]、チャールズ・スポルジョン[70]、ジョン・ウェスレー[70]、チャールズ・フィニー[71]、セオドア・ウェルド、ハリエット・ビーチャー・ストウ、ソジャーナ・トゥルース等の福音主義者がいた。
クエーカーは米国、英国内における集会で奴隷制廃止の嘆願書(1688年、1727年)を送りつけ、1783年には議会に対して抗議文が提出された[72][73]。1787年、クエーカーは宗派内での議論を越えて、奴隷制廃止のために団体を組織した[74]。メソジスト教会のジョン・ウェスレーは1787年に奴隷制廃止運動への支持を表明し、翌年にはブリストルで奴隷制廃止の説教を行い騒動を起こした。ウェスレーは1791年に死去したが、最後の手紙はウィルバーフォースへ宛てられ、アメリカ合衆国の奴隷制が神の名のもとに消滅するよう活動を促した[75]。1791年、ウィルバーフォースの廃止の議案を提起したが、否決された[76]。1807年2月、ウィルバーフォースは奴隷貿易の廃止法案を議会で可決させた。法案成立の数ヶ月後には、アメリカ合衆国においても奴隷の輸入が禁止された[77]。1814年、イギリスの人口の1割に相当する100万人から奴隷制度廃止を呼びかける署名が集まり、1833年に奴隷廃止法が成立した。奴隷制度廃止論者の中心は神から奴隷制度を滅ぼすことを命じられたと信じるキリスト教徒であった[78][79]。
日本
編集ポルトガルの奴隷貿易については、歴史家の岡本良知は1555年をポルトガル商人が日本から奴隷を売買したことを直接示す最初の記述とし、これがイエズス会による抗議へと繋がり1571年のセバスティアン1世 (ポルトガル王) による日本人奴隷貿易禁止の勅許につながったとした。岡本はイエズス会はそれまで奴隷貿易を廃止するために成功しなかったが、あらゆる努力をしたためその責めを免れるとしている[81][注釈 11]。
16世紀から17世紀への転換期、イベリア同君連合の第2代支配者であるポルトガル国王フィリペ2世(スペイン国王フェリペ3世)は、イエズス会の要請により、1571年の勅許を再制定して日本人の奴隷貿易の交易を中止しようとしたが、彼の政策はポルトガル帝国の地方エリートの強い反対に会い、長い交渉の末、イエズス会のロビー活動は失敗に終わった[90][注釈 13]。
日本におけるポルトガルの奴隷貿易を問題視していた宣教師はポルトガル商人による奴隷の購入を妨げるための必要な権限を持たなかったため、永代人身売買をやめさせて契約期間を定めた年季奉公人とするように働きかけが行われた[98][99][注釈 14]。一部の宣教師は人道的観点から隷属年数を定めた短期所有者証明書(schedulae)[104]に署名をすることで、より大きな悪である期間の定めのない奴隷の購入を阻止して日本人の待遇が永代人身売買から年季奉公に改善するよう介入したとされている[98][105]。マテウス・デ・クウロス等の宣教師らによって、こうした人道的介入であっても関与自体が誤りであったとの批判が行われ、1598年以降、宣教師の人道的な関与についても禁じられた[106][注釈 15]。
宣教師らは年季奉公人(または期間奴隷)の洗礼も行うことがあった。奴隷の所有者は取得から6ヶ月後に洗礼を受けさせる義務があったが、10歳以上の奴隷(年季奉公人を含む)は洗礼を拒否することができた。洗礼は社会的包摂の一形態であり、洗礼をうけることでポルトガル王室と教会法の管轄に服し保護をうけることができた[115][116]。
注釈
編集- ^ 全人口の3分の1が奴隷だったとする学者もいる[2][3]
- ^ ヘブライ語のエヴェド(עבד)、ギリシャ語のドウロス(δοῦλος)
- ^ 黙示録10:7、マタイ20:27、マタイ20:27、フィリピの信徒への手紙2:7
- ^ 聖書文学協会では初期キリスト教の研究において、社会学的な方法論を使うべきか、社会学的手法の使用を控え、初期キリスト教徒の社会的背景を歴史学的な方法論を使う社会史的アプローチを用いて研究すべきかの論争が行われている[18]。
- ^ カイル・ハーバーはニュッサのグレゴリオスを奴隷制が人間の自然な権利を侵害するという結論を出した歴史上最初の人物と主張している[7]。
- ^ 紀元前2世紀のユダヤ教エッセネ派も奴隷制を拒否したことで知られているが、詳細は知られていない[19]。
- ^ カントは尊厳をあらゆる価値を越え、等価性のないものとして定義しており、自律性を人間の尊厳の基底と考えた[43]。神の国はこれらの概念領域(Kingdom of Ends / Reich der Zwecke)の宗教的象徴と解釈された[44]。
- ^ 7世紀、ネウストリア・ブルグンド王国の王妃バチルドが奴隷貿易禁止と奴隷解放運動を行った[48]。
- ^ イングランドにおける奴隷制度禁止の強化はウィリアム1世 (イングランド王)による貢献も大きい[48]。
- ^ 豊臣秀吉は「人心鎮撫の策」として、遊女屋の営業を積極的に認め、京都に遊廓を造った。1585年に大坂三郷遊廓を許可。89年京都柳町遊里(新屋敷)=指定区域を遊里とした最初である。秀吉も遊びに行ったという。オールコックの『大君の都』によれば、「秀吉は・・・・部下が故郷の妻のところに帰りたがっているのを知って、問題の制度(遊廓)をはじめたのである」やがて「その制度は各地風に望んで蔓延して伊勢の古市、奈良の木辻、播州の室、越後の寺泊、瀬波、出雲碕、その他、博多には「女膜閣」という唐韓人の遊女屋が出来、江島、下関、厳島、浜松、岡崎、その他全国に三百有余ヶ所の遊里が天下御免で大発展し、信濃国善光寺様の門前ですら道行く人の袖を引いていた。」[83]のだという。
- ^ 日本人の人身売買は宣教師が日本を追放になって以降も下人や年季奉公、遊郭など様々な隷属形態に順応して継続した。伴天連追放令後の1589年(天正17年)には日本初の遊郭ともされる京都の柳原遊郭が豊臣秀吉によって開かれたが[82][注釈 10]、遊郭は女衒などによる人身売買の温床となり、江戸幕府が豊臣秀吉の遊郭を拡大して唐人屋敷への遊女の出入り許可を与えた丸山遊廓を島原の乱後の1639年(寛永16年)頃に作ったことで、それが「唐行きさん」の語源ともなっている[84][85]。秀吉が遊郭を作ったことで、貧農の家庭の親権者などから女性を買い遊廓などに売る身売りの仲介をする女衒が、年季奉公の前借金前渡しの証文を作り、性的サービスの提供は本人の意志に関係なく強要が横行した(性的奴隷)。すでに江戸時代から長崎の外国人貿易業者により日本人女性は妻妾や売春婦として東南アジアなどに行ったとされる[86]。元禄時代(1688-1704)の頃に唐人屋敷では中国人が日本人の家事手伝いを雇うことは一般的だったが、日本人女性は中国人が帰るときについていき大半のものが騙されて売春宿に売られたという[87]。日本人女性の人身売買はポルトガル商人や倭寇に限らず、19世紀から20世紀初頭にかけても「黄色い奴隷売買」、「唐行きさん」として知られるほど活発であり、宣教師が指摘した日本人が同国人を性的奴隷として売る商行為は近代まで続いた[88][89]。
- ^ ポルトガル商人はキリスト教の教会を破壊し、キリストの肖像画を燃やさせた領主の港へも来航して宣教師と対立した[97]。
- ^ イエズス会は1555年の最初期の奴隷取引からポルトガル商人を告発している[91]。イエズス会による抗議は1571年のセバスティアン1世 (ポルトガル王) による日本人奴隷貿易禁止の勅許公布の原動力としても知られている[92]。日本人奴隷の購入禁止令を根拠に奴隷取引を停止させようとした司教に従わないポルトガル商人が続出、非難の応酬が長期に渡り繰り返される事態が続いた[93][94][95]。ポルトガル国王やインド副王の命令に従わず法執行を拒否して騒動を起こすポルトガル商人や裁判官等も数多くいたという[96][注釈 12]。
- ^ 江戸時代前期の年季奉公の主流は奴婢・下人の系統を引くもので、奉公人は人身売買の対象となった。江戸幕府は法律上は営利的な人の売買を禁止したが、それは主として営利的な人の取引に関したもので、実際においては父や兄が子弟を売ることは珍らしくなく、また人の年季貫は非合法でなかった[100]。主人と奉公人との間には、司法上ならびに刑法上の保護と忠誠の関係があるべきものとされた。奉公人は主人を訴えることが許されず、封建的主従関係であったという[101]。江戸時代に入り雇用契約制度である年季奉公が一般に普及しはじめると譜代下人(または譜代奉公人)としての男性の売買は江戸時代中期(十七世紀末)にはほとんど見られなくなった。しかし遊女や飯盛女の年季奉公ではいくつかの点で人身売買的な要素が温存された[102]。
- 家長権を人主から雇い主へ委譲
- 転売の自由
- 身請け・縁付けの権利を雇い主に委譲
- 死亡後の処置も雇い主へ一任
- ^ 中世日本では人身永代売買が広く行われており、年季奉公が一般的になったのは江戸幕府以降だが[107]、ポルトガル人が日本で購入した奴隷の中には、数年で契約期間が終了する年季奉公人が記録されている[108]。日本人の年季奉公制度(期限奴隷制度)では、マカオへの渡航のみを希望したり、ポルトガル人に雇われることができず、自らを売った者などがいたという[109]。マカオに上陸するなり、明の管轄する領土に移動して労働契約を一方的に破棄する日本人の年季奉公人が続出した[110]。この結果、多くのポルトガル人は以前と同じ量の日本人奴隷を買わなくなったという[109]。自らの意志で奴隷になろうとした者の背景としては、軍資金を求めて領主が要求した増税は、領民の貧困化を招き、多くの日本人が奴隷制を生き残るための代替戦略として捉えていたことがある[111]。中世の日本社会では、百姓は納税が間に合わない場合に備えて、自分や他人を保証人として差し出すことができたという。税金を払わない場合、これらの保証は売却される可能性があり、農民と奴隷の区別をいっそう困難にしていた[112]。最新の研究ではアジア人の奴隷(または年季奉公人)は南米のプランテーションで働く黒人奴隷に比べて、より穏やかな家事奴隷として見直す動きがある[113][114]。
脚注
編集- ^ Gálvez, Francisco J. González (英語). Church and Slavery in the Middle Ages .
- ^ “Welcome to Encyclopædia Britannica's Guide to History”. 2022年6月10日閲覧。
- ^ “Slavery in Bible times by David Meager”. 2022年6月10日閲覧。
- ^ Tolmie, D. F. (2014). “Tendencies in the interpretation of Galatians 3:28 since 1990”. Acta Theologica 33 (2): 105. doi:10.4314/actat.v33i2S.6, p. 107
- ^ Kyle Harper, Christianity and the Roots of Human Dignity in Late Antiquity, in Christianity and Freedom , pp. 123 - 148 DOI: https://doi.org/10.1017/CBO9781316408582.007, Publisher: Cambridge University Press, 2016, p. 141, "Gregory of Nazianzus, for instance, exhorted his flock to love the poor by imagining the ultimate justice of God. God created humans “free and with free will.” Christians should act with “the original equality of rights, not the subsequent inequities” in mind; invoking the word isonomia , Gregory gestured toward a rich, ancient value that had underwritten the most egalitarian impulses of Greek democracy. But Gregory could ground his vision of equality in divine intention; the divisions between wealth and poverty, like those between freedom and slavery, were not part of the original creation, but rather “evils” that attended only fallen humanity. 94 Christians should recognize this fact and act accordingly: “imitate the egalitarian justice of God and there shall be no poor man.”"
- ^ a b “"Chapter 15 - Of the Liberty Proper to Man's Nature, and the Servitude Introduced by Sin—A Servitude in Which the Man Whose Will is Wicked is the Slave of His Own Lust, Though He is Free So Far as Regards Other Men." in City of God (Book 19 )”. 11 February 2016閲覧。 “God ... did not intend that His rational creature, who was made in His image, should have dominion over anything but the irrational creation - not man over man, but man over the beasts ... the condition of slavery is the result of sin ... It [slave] is a name .. introduced by sin and not by nature ... circumstances [under which men could become slaves] could never have arisen save [i.e. except] through sin ... The prime cause, then, of slavery is sin, which brings man under the dominion of his fellow [sinful man] ... But by nature, as God first created us, no one is the slave either of man or of sin.”
- ^ a b c d Kyle Harper, Christianity and the Roots of Human Dignity in Late Antiquity, in Christianity and Freedom , pp. 123 - 148 DOI: https://doi.org/10.1017/CBO9781316408582.007, Publisher: Cambridge University Press, 2016, p. 133, "Gregory’s thoughts on slavery emerge from his interpretation of Ecclesiastes, as Gregory launches out from the author’s reflections on the vanity of his wealth. “If a man makes that which truly belongs to God into his own private property, by allotting himself sovereignty over his own race, and thinks himself the master of men and women, what could follow but an arrogance exceeding all nature from the one who sees himself as something other than the ones who are ruled?” Throughout the homily, Gregory returns again and again to the sheer arrogance of slave ownership. But there also courses throughout the text an unprecedented attack on the injustice of the institution itself. In the first place, slave ownership was unjust because it violated the free nature of humans. “Do you condemn man to slavery, whose nature is free and autonomous?” This is a remarkable statement. No ancient authority had invoked the “free nature” of human beings......Gregory, though, was the first to draw the startling conclusion that a material condition such as slavery violated the free nature of the human being. "
- ^ a b Kyle Harper, Christianity and the Roots of Human Dignity in Late Antiquity, in Christianity and Freedom , pp. 123 - 148 DOI: https://doi.org/10.1017/CBO9781316408582.007, Publisher: Cambridge University Press, 2016, p.125, "The first is universalism . Human rights are claims that all humans have simply by virtue of being human; they are universal across all individuals of the species. Hence, human rights are egalitarian. They are a kind of claim that does not depend on individual qualities or capacities and therefore cannot differ across individuals. The second is freedom . Human rights by their very nature insist on autonomy, whether conceived positively (as a power, a material capability) or negatively (as an immunity, an absence of restraint). The third is dignity . Human rights require a conception of human beings as incomparably valuable or worthy creatures. It is this third element that can inflect rights with a virtually absolutist quality. When competing goods are at stake, respecting human worthiness always outweighs the alternatives."
- ^ a b c Kyle Harper, Christianity and the Roots of Human Dignity in Late Antiquity, in Christianity and Freedom , pp. 123 - 148 DOI: https://doi.org/10.1017/CBO9781316408582.007, Publisher: Cambridge University Press, 2016, p.131, "Christianization created the grounds for the development of human rights. This claim can be explored by isolating several moments of encounter between Christians and the world around them in the period of late antiquity, roughly between the ages of Constantine (AD 306 337) and Justinian (AD 527–565). ... In other words, we should expect to find neither formal human rights claims, nor the logic of Lockean rights. Instead, we will find the constituent elements of Kantian rights: universalism, freedom, and above all dignity – the view that each human is the bearer of incomparable worth. These moments of encounter are all we will find. The conversion of Constantine did not usher in an era of glorious Christian Kantianism; the world continued to be a cruel, gray place. These moments of encounter are, however, meaningful irruptions of the logic of human rights into a world where they were foreign."
- ^ a b Kyle Harper, Christianity and the Roots of Human Dignity in Late Antiquity, in Christianity and Freedom , pp. 123 - 148 DOI: https://doi.org/10.1017/CBO9781316408582.007, Publisher: Cambridge University Press, 2016, p. 143, " The early origins proposed in this paper, in which human rights rest on a long, pre-Enlightenment preparatory phase, argue that beliefs about the high worth of humanity were created slowly and collectively and took centuries to establish as broad cultural norms. Late antiquity is so important because here we witness the white sparks of friction, as now-familiar cultural norms for the first time confronted what were once unquestioned institutions and experiences such as slavery, sexual exploitation, and poverty. This history reminds us that what to us seems unthinkable was once unquestionable. Beliefs in the universal and incomparable worth of the human being provided the moral resources to begin the long and still unfinished business of trying to recognize and to realize the human rights of all."
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- ^ a b Margaret Killingray, The Bible, Slavery and Onesimus, ANVIL Volume 24 No 2 2007. pp. 93-94, "Philemon is being asked to transform the relationship between master and slave, within the context of the fellowship meeting in his house. This letter reminds us that we all have to live with limitations, having to make the most of things we cannot change. Onesimus cannot change his slave status; Paul in prison has to rely on others, on letters, at a distance. Philemon has to decide what is possible for him as he takes a stand against the accepted social and legal systems of his day. ‘We know that all things work together for good for those who love God, who are called according to his purpose. For those whom he foreknew he also predestined to be conformed to the image of his Son’ (Rom. 8:28). The lifelong transformation of Christians into the image of Jesus is more likely to take place in these difficult situations than in situations of ease and comfort."
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- ^ Kyle Harper, Christianity and the Roots of Human Dignity in Late Antiquity, in Christianity and Freedom , pp. 123 - 148 DOI: https://doi.org/10.1017/CBO9781316408582.007, Publisher: Cambridge University Press, 2016, p. 134, "it is no small distinction to be the earliest human to have left an argument for the basic injustice of slavery....What is all the more remarkable is that Gregory looked past the obvious, surface rationalizations for slavery available in Christian scripture, to develop a philosophically coherent account of human nature grounded in Christian values. Those values were firmly centered on universal dignity. Gregory’s logic, even his rhetoric, presages the ideology of abolitionism, more than a millennium before it would come of age. "
- ^ Kyle Harper, Christianity and the Roots of Human Dignity in Late Antiquity, in Christianity and Freedom , pp. 123 - 148 DOI: https://doi.org/10.1017/CBO9781316408582.007, Publisher: Cambridge University Press, 2016, p. 134, "Rather, Gregory considered the physis , the natural constitution of the human, to be free, eleuthera ; eleutheria , in the ancient world, has not incorrectly been interpreted to mean “positive liberty,” the capacity to act; it was a status word, implying a state of honour as well as liberty. Novel though it was, Gregory’s claim here is not totally surprising, in light of the high emphasis that early Christians placed on free will. When Gregory calls human nature “free and autonomous,” he invokes a language that runs straight back through Origen to early Fathers such as Justin Martyr. The early Christians had stringently maintained that humans were endowed by God with a free will. In doing so, they explicitly set themselves apart from strongly deterministic philosophies like Stoicism. I have argued that Justin Martyr was the first person to use exactly the formula of “free will,” and the concept would be vitally important to the Christian conception of man as an essentially rational and moral being, created with both freedom and responsibility.
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- ^ Kyle Harper, Christianity and the Roots of Human Dignity in Late Antiquity, in Christianity and Freedom , pp. 123 - 148 DOI: https://doi.org/10.1017/CBO9781316408582.007, Publisher: Cambridge University Press, 2016, p. 130, "The Stoics stared past the sheer violence and degradation that were essential to the institution of slavery, resolved to accept the world as fate handed it to us. Nowhere in Stoic thought is there anything resembling the argument that the institution of slavery violated the just claims and immunities to which all humans were entitled by their very worth. In short, Stoicism did not incubate the raw material of Kantian rights.
- ^ I. Kant, Groundwork of the Metaphysic of Morals (orig. 1785) trans. T. Abbott. "In the kingdom of ends everything has either value or dignity. Whatever has a value can be replaced by something else which is equivalent; whatever, on the other hand, is above all value, and therefore admits of no equivalent, has a dignity. . . . Now morality is the condition under which alone a rational being can be an end in himself, since by this alone is it possible that he should be a legislating member in the kingdom of ends. Thus morality, and humanity as capable of it, is that which alone has dignity. . . .Autonomy then is the basis of the dignity of human and of every rational nature."
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- ^ a b c The tragedy of slavery: the church’s response, Scott Key, Pacific Journal 2 (2007): p.3,, "In the seventh century, Bathilda (the Queen Regent of Burgundy and Neutria) campaigned to stop the slave trade and free all who found themselves in this condition. In the ninth century, Anskar (a Benedictine monk who established the first church in Scandinavia) tried to halt the Viking slave trade. Venetian bishops worked to prevent the slave trade in the tenth century. 10 While these efforts did not succeed, the prohibition on Christian slaves (and the subsequent conversion of most of Europe) led to the de facto end of slavery there. This prohibition was enforced by rulers and churchmen such as William the Conqueror, Wulfstan, and Anselm"
- ^ Aristot. Pol. 7.1327b, "The nations inhabiting the cold places and those of Europe are full of spirit but somewhat deficient in intelligence and skill, so that they continue comparatively free, but lacking in political organization and capacity to rule their neighbors. The peoples of Asia on the other hand are intelligent and skillful in temperament, but lack spirit, so that they are in continuous subjection and slavery. But the Greek race participates in both characters, just as it occupies the middle position geographically, for it is both spirited and intelligent; hence it continues to be free and to have very good political institutions, and to be capable of ruling all mankind if it attains constitutional unity.", Aristotle, Politics
- ^ Politics, I, 2, 1254a 17 ff., The Complete Works of Aristotle. Edited by Jonathan Barnes. Princeton University Press, 1991. "But is there any one thus intended by nature to be a slave, and for whom such a condition is an expedient and right, or rather is not all slavery a violation of nature? There is no difficulty in answering this question, on grounds both of reason and of fact. For that some should rule and others be ruled is a thing not only necessary, but expedient; from the hour of their birth, some are marked out for subjection, others for rule."
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- ^ John Coffey, Evangelicals, Slavery & the Slave Trade: From Whitefield to Wilberforce, ANVIL Volume 24 No 2 2007, p. 109. "Methodists too were keen participants in the abolitionist movement. John Wesley wrote to pledge his support in August 1787, and in the following year he provoked a disturbance by preaching an abolitionist sermon in Bristol. He died in March 1791, at the height of the agitation, with the cause still prominent in his thoughts. Equiano’s Interesting Narrative was one of the last books he read, and his final letter was addressed to Wilberforce: ‘Go on, in the name of God and in the power of his might, till even American slavery (the vilest that ever saw the sun) shall vanish away before it’.51"
- ^ John Coffey, Evangelicals, Slavery & the Slave Trade: From Whitefield to Wilberforce, ANVIL Volume 24 No 2 2007, p. 112. "The committee produced a major report that provided the abolitionists with potent ammunition for their case.61 Wilberforce brought his Abolition Bill to the Commons in April 1791, but was defeated by 163 votes to 88. When he tried again in 1792, at the height of popular agitation, he was outmanoeuvred by the Home Secretary, Henry Dundas, who won parliamentary approval for a gradual abolition bill that promised much but delivered nothing."
- ^ The tragedy of slavery: the church’s response, Scott Key, Pacific Journal 2 (2007): p.10, "After more than a decade of struggle, Wilberforce and his parliamentary allies abolished the slave trade in February 1807. The timing is crucial because a few months later the United States also outlawed the importation of slaves; however, the elimination of the primary source of transportation made the American ban as much a matter of practicality as morality."
- ^ The tragedy of slavery: the church’s response, Scott Key, Pacific Journal 2 (2007): pp. 10-11, "In Great Britain, once the slave trade was abolished, the general public began to support the abolition of slavery itself. In 1814, more than one million signatures (about 1/10 of the British population) were collected calling for the abolition of slavery throughout the Empire. The perseverance of Wilberforce, the rest of the Clapham Sect, and countless others won the day. In 1833, three days before Wilberforce died, the Emancipation Act was passed and slavery was abolished in the British Empire. The key abolitionists were Christians who believed that they had been called by God to destroy this evil. "
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- ^ Jesuits and the Problem of Slavery in Early Modern Japan, Rômulo da Silva Ehalt, 2017. pp. 496-497 "If that is the case, the king had then sent copies of the same order to India at least three times: in 1603, when Aires de Saldanha published it, in 1604, with Martim Afonso de Castro, and in 1605."
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参考文献
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