女子学園 ヤバい卒業
『女子学園 ヤバい卒業』(じょしがくえんヤバいそつぎょう)は、1970年12月15日に公開された日本映画[1]。
女子学園 ヤバい卒業 | |
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監督 | 沢田幸弘 |
脚本 | 棚田吾郎 |
出演者 | |
音楽 | 玉木宏樹 |
撮影 | 安藤庄平 |
編集 | 辻井正則 |
製作会社 | 日活 |
配給 | ダイニチ映配 |
公開 | 1970年12月15日 |
上映時間 | 82分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
前作 | 女子学園 悪い遊び |
次作 | 女子学園 おとなの遊び |
キャスト
編集スタッフ
編集製作
編集この年、監督デビュー作『斬り込み』『反逆のメロディー』の二作で、一気に「日活ニューアクション」の旗手となった沢田幸弘が[5][4][6]、日活の那波直司製作部長に呼ばれて、本作の準備稿を渡された[4]。沢田は『反逆のメロディー』の主題歌を入れる入れないで、プロデューサーと揉めて、当時自宅待機になっていた[4]。那波から「契約更改のこともあるしやった方がいいよ」と言われ、先の二本とは違う傾向の映画に気は乗らなかったが、当時の日活は先行き不透明な状況でもあり、オファーを受けた[4]。沢田は「本作を撮っていなかったら『関東幹部会』以降も無かったと思う」と話している[4]。
キャスティング
編集主演の夏純子は、東映のスケバン映画『三匹の牝蜂』のズべ公役で注目され[3][7]、1970年9月[8]、日活と専属契約を交わし[2][7][8][9]、「女子学園シリーズ」の第1作『女子学園 悪い遊び』で初めて主演に抜擢された[3][7]。夏は当時21歳で、中学生を演じる無茶な設定[3][10]。ツインテールなのは[1][3][10]、「それらしく見せるためには、一番手っ取り早い髪型かなあ」と判断したと夏は話している[2]。『ハレンチ学園』に『野良猫ロック』をミックスさせたような同作は、"セーラー服ズべ公アクション"というジャンルの先駆けとなり[7][11]、好評を受けての本作はシリーズ第2作であった[1][3][7]。
本作はノンクレジットながら、劇中、ブレイク前の吉田拓郎が突然「青春の詩」を歌うことで、拓郎ファンには有名である[4][6]。拓郎の出演経緯は、監督の沢田が以下のように証言している。本作で出演としてクレジットされている藤圭子には、実は出演交渉をしておらず、監督の沢田と少数の撮影スタッフで、テレビの歌番組で歌唱中の藤を小さいカメラで盗み撮りしたもので[4]、これが見つかって揉めたが、結果オーライとなり[4]、今日では藤のオフィシャルサイトでもプロフィールとして記載されている[12]。ところが藤の歌が本作に合わずに困っていたとき、沢田監督がたまたま家でテレビを観ていたら、神田公会堂でギター弾いて『♪これが青春』と延々と歌ってる歌手を観て『あっこれだ!』と思って、(名前は知らず)助監督に探させ、その時は拓郎は広島にいて、東京に来てもらい、プレスコして出演してもらった、と話している[4]。沢田のいう神田公会堂というのは、当時フォーク系のコンサートがよく開催された神田共立講堂と思われるが[13]、拓郎は1970年の春に上京しており、当時は都内(高円寺)に住んでいた[14]。広島に仕事で帰郷中だったのか詳細は不明。また当時拓郎が出演したコンサートのテレビ中継があったというのは確認が出来ない[注 1]。夏純子は「吉田拓郎さんの曲は(本作に)ピッタリ嵌っていたなあと思います」と話している[2]。時代の寵児だった吉田拓郎と藤圭子が同じ映画に出ているという点で希少性も高い[1]。
ロケ地
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 神田共立講堂には1970年12月13日に「はしだのりひことクライマックス結成コンサート」にゲスト出演しているが[13]、公開日と近過ぎのためこれで観たという可能性は低い。映画の撮影編集は前作『女子学園 悪い遊び』の公開が1970年11月12日であることから、本作の撮影編集は1970年11月から12月半ばと考えられるが、拓郎はこの時期東京でライブを行っていない[13]。ただ、テレビ放映はそれ以前のコンサートを放送した可能性があり、1970年6月27日、「広島フォーク村旗揚げコンサート」(東京厚生年金会館大ホール)、9月16日、「日本語のろっくとふぉーくのコンサート」(日比谷野外音楽堂)、9月16日、「小室等コンサート」(ゲスト、東京厚生年金会館)、10月28日、「70年フォークからロックコンサート」(虎ノ門ホール)などに出演している[13]。拓郎は1970年は、広島フォーク村でイベントがある際は、度々帰郷してフォーク村の活動に参加していた(1970年8月12日~14日、「広島フォーク村夏季合宿」(府中町広島青少年文化センター)、10月15日、「第3回いちごの木ふぉーくのつどい」、11月27日「ざ・ろいやる告別演奏会」(広島市青少年センター)、12月26日「広島フォーク村2周年記念満2歳 帰郷コンサート」(広島市青少年センター)[13]。
出典
編集- ^ a b c d e 女子学園 ヤバい卒業 | 映画 | 日活、【日活100周年邦画クラシックス】女子学園 ヤバい卒業
- ^ a b c d 「Hiho VIP INTERVIEW 夏純子 日活100周年記念インタビューその9」『映画秘宝』2013年5月号、洋泉社、78–79頁。
- ^ a b c d e f 1970 女子学園 悪い遊び 文・馬飼野元宏(映画秘宝)、p.102
- ^ a b c d e f g h i j 澤田幸弘インタビュー 聞き手 本田隆一・高護、pp.84–89
- ^ 澤田幸弘 文・山根貞男、p.187
- ^ a b 佐藤剛 (2020年1月7日). “佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」 vol.124 まだ無名だった吉田拓郎(よしだたくろう)が突然、大きなスクリーンに映し出された瞬間の記憶”. WHAT's IN? tokyo. 2020年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月20日閲覧。
- ^ a b c d e ヴィンテージ女優千一夜 日本映画を支えたお色気・肉体女優 その人生の機微を探る ドキュメント・おんなののど自慢 夏純子 日活最後のズべ公女優 文・藤木TDC、pp.259–260
- ^ a b 「第2の浅丘ルリ子をめざす新人 ―日活青春スター・夏純子―」『週刊明星』1970年9月20日号、集英社、167頁。
- ^ 「グラビア 'フェイス70 次代のスター 夏純子(女優) 調布市・日活撮影所で」『週刊朝日』1970年10月30日号、朝日新聞社、142頁。
- ^ a b 不良性感度100%のオンナノコ列伝 ズベ公青春物語/ラピュタ阿佐ヶ谷
- ^ 「日本のプログラム・ピクチャーが実は世界を征服していた! "ズべ公"映画の全貌 文・藤木TDC」『悪趣味邦画劇場〈映画秘宝2〉』洋泉社、1995年、140頁。ISBN 9784896911701。
- ^ プロフィール | 藤圭子 | ソニーミュージックオフィシャルサイト
- ^ a b c d e シンコーミュージック「拓郎年譜1970年」『吉田拓郎 これが青春』〈ヤング・ギター・クロニクル. vol.1〉2007年、41頁。ISBN 9784401630851。
- ^ シンコーミュージック「2006拓郎史跡」『吉田拓郎 これが青春』〈ヤング・ギター・クロニクル. vol.1〉2007年、231頁。ISBN 9784401630851。
参考文献
編集- 土橋寿男発行 著、嶋地孝麿編集 編『日本映画俳優全集・女優編』キネマ旬報社、1980年。
- 上森子鐵発行 著、黒井和男編集 編『日本映画・テレビ監督全集』キネマ旬報社、1988年。
- 『セクシー・ダイナマイト猛爆撃』洋泉社、1997年。ISBN 4896912586。
- 高護(ウルトラ・ヴァイブ)『日本映画名作完全ガイド 昭和のアウトロー編ベスト400 1960‐1980』シンコーミュージック、2008年。ISBN 9784401751228。