太田理一
太田 理一(おおた りいち、1894年11月26日[1] - 1988年4月28日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
編集長崎県出身[3]。1913年、長崎市立長崎商業学校(現・長崎市立長崎商業高等学校)卒[3]。酒業を営む。島原町議、島原商工会評議員、金銭債務臨時調停委員となる[3]。
1937年の第20回衆議院議員総選挙では長崎1区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選[4]。衆議院議員を1期務めた。1942年の第21回衆議院議員総選挙では非推薦で落選[5]。1946年の第22回衆議院議員総選挙は長崎県(大選挙区制)から日本進歩党公認で立候補したが落選した[6]。1949年の第24回衆議院議員総選挙は長崎1区から民主党公認で立候補したが落選した[7]。1988年死去。
脚注
編集参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。