大阪国際滝井高等学校
大阪国際滝井高等学校(おおさかこくさい たきい こうとうがっこう)は大阪府守口市にある私立の女子校。同じ大阪国際大学の附属学校の大阪国際大和田高等学校と2022年(令和4年)に統廃合され、近隣にあるパナソニック工場の跡地(守口市松下町)に新たに中高一貫校を設置[1]。校名も「大阪国際中学校・高等学校」に改称される([2])。
大阪国際滝井高等学校 | |
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(2006年〈平成18年〉8月撮影) | |
北緯34度43分37.9秒 東経135度33分40.2秒 / 北緯34.727194度 東経135.561167度座標: 北緯34度43分37.9秒 東経135度33分40.2秒 / 北緯34.727194度 東経135.561167度 | |
過去の名称 |
帝国高等女学校 帝国女子高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人大阪国際学園 |
設立年月日 | 1948年(昭和23年)4月1日 |
閉校年月日 | 2024年(令和6年)3月31日 |
共学・別学 | 男女別学(女子校) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 国際科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D127310000361 |
高校コード | 27550G |
所在地 | 〒570-0062 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
略称はO.I.T.H。また、「滝井スピリット」として「知を磨き、豊かな心を育む」の標語が掲げられている[要出典]。クラブ活動のバレーボール部は、幾度も春高バレー(春の高校バレー)で全国優勝している「名門」[3]。設置者は学校法人大阪国際学園。
学校の源流は1929年(昭和4年)、北河内郡三郷村(現在の守口市)に設立された高等女学校(修業5年)の「帝国高等女学校」。太平洋戦争(第二次世界大戦)後の学制改革により新制の高等学校「帝国女子高等学校」となった。
高度経済成長期で団塊の世代の高校進学率が急増した「高等学校生徒急増期」[4][5]の1962年に、分校として大和田校を設置。この大和田校が1978年に帝国女子大学大和田高等学校として独立し、バブル時代の1985年に中学校も併設している。
1992年(平成4年)、系列の帝国女子大学が大阪国際大学に改称されたことに伴い、大阪国際滝井高等学校、大阪国際大和田高等学校、大阪国際大和田中学校の3校も改称された。
「大阪国際」改称30周年にあたる2022年(令和4年)に滝井高校から距離500mほど離れた守口市松下町のパナソニック工場の跡地に校舎を新設(大枝公園の南側、通称「松下町校地」)、滝井は大和田と統廃合され移転。校名も「大阪国際高等学校」「大阪国際中学校」に改称される。
沿革
年表
- 1929年(昭和4年) - 帝国女子薬学専門学校(高等教育機関の旧制専門学校。現・大阪薬科大学)に附属の姉妹校として、野崎仙太郎(大阪薬科大学の初代理事長)らが高等女学校の「帝国高等女学校」を設立(文部省告示第11号で4月開校を認可[6])
- 1938年 - 12月3日、帝国高等女学校の設立者を財団法人帝国学園に変更(文部省告示第355号により認可[7])
- 1947年 - 学制改革により、新制の中学校「帝国学園中学校」を開設
- 1948年 - 新制の高校「帝国女子高等学校」を開設
- 1951年 - 財団法人帝国学園を「学校法人帝国学園」に改組
- 1959年 - 帝国女子高等学校に商業科を併置
- 1962年 - 分校として「帝国女子高等学校大和田校」が開校(のちの大阪国際大和田高等学校)。同じ校地に帝国学園中学校(大和田校)と帝国女子短期大学も開校
- 1974年 - 帝国学園中学校を休校(事実上の廃校)
- 1978年 - 2月13日、帝国女子高等学校大和田校の分離独立(高校の新設)を、大阪府から認可される。4月、「帝国女子大学大和田高等学校」開校
- 1985年 - 1月10日、「帝国女子大学大和田中学校」設立を大阪府から認可される。4月、開校
- 1992年(平成4年) - 4月、「大阪国際滝井高等学校」「大阪国際大和田高等学校」「大阪国際大和田中学校」に改称
- 1993年 - 商業科を廃止
- 2002年 - 国際科を併置
- 2015年 - 体育コースの募集を停止
- 2022年(令和4年) - 3月末に滝井を募集停止、大和田を閉校。
- 2022年(令和4年) - 4月、「大阪国際高等学校」「大阪国際中学校」開校([1])
- 2024年(令和6年) - 3月末閉校
(沿革は学校法人大阪国際学園の事業報告など参照[8])。
基礎データ
高校の募集定員は210名。費用は年140万円~160万円(外国への修学旅行を含む[9])。
交通アクセス
- 鉄道
- 京阪本線滝井駅より徒歩5分
- Osaka Metro谷町線太子橋今市駅より徒歩9分
- Osaka Metro今里筋線清水駅より徒歩7分
- バス
- 大阪シティバス86号系統「滝井」バス停より徒歩で2分
統廃合後
象徴
- 制服
制服は2007年4月、COMME CA DU MODEデザインに変更(新入生から)[要出典]。
それ以前の制服は、ドラマ家族善哉で使用されたという[10][要出典]。
姉妹校
- 生徒交流の提携
- 2000年 - カナダのトゥリリアム・レイクランド地方教育委員会(Trillium Lakelands District School Board)
授業
国際科と普通科があり、普通科は総合進学コース/幼児保育進学コース/看護進学コース/特進コース(文系/薬学系)/吹奏楽コース(吹奏楽)に分かれている。
2007年度に新設された体育・吹奏楽コースの吹奏楽クラスでは、併設大阪国際大学並びに同短期大学への内部進学のほか、外部の大阪音楽大学及び同短期大学への指定校推薦入学制度がある[要出典]。
また、国際科に長期(1年または半年)オーストラリア留学制度(希望制)を設けている[要出典]。
そのほかカナダとオーストラリアの姉妹校と交換留学を実施(カナダ:6週間、オーストラリア:4週間)。希望者からカナダ2名、オーストラリア4名を選抜。大阪国際学園の「奥田政三教育・研究基金」から奨学金が支給され、現地の滞在費や往復航空券、現地校授業料を賄われる[要出典]。
諸活動
日本の伝統文化である茶道・華道・着付け・美しい立ち居振る舞い・写本を実習中心に学ぶ。1996年10月には、生徒の手づくり英字新聞「TAKII TALKS」も創刊された(年5回の発行)[要出典]。
地球に優しい学校作りを目指し、各教室に分別用のゴミ箱を設置。校内の自販機から缶製品を無くし、分別回収に取り組む「滝井エコ運動」を行い、総合学習では地域清掃などボランティア活動も実施している[要出典]。
部活動
- バレーボール部 - 1991年、帝国女子として、全国高等学校総合体育大会で初優勝。春の高校バレー (全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)では、1992年・1994年・2007年に優勝。2006年の06総体THE近畿でも準優勝。3月に行われていた春の高校バレーが2010年に幕を閉じ、1月に全日本バレーボール高等学校選手権大会として開催されるようになった後、2012年、第62回全日本バレーボール高等学校選手権大会ではベスト4。かつて全国高等学校総合体育大会と兼ねて行われていた全日本バレーボール高等学校選手権大会。1991年以来23年ぶりの優勝がかかった2015年、第67回全日本バレーボール高等学校選手権大会では、金蘭会との大阪代表校同士で決勝戦を戦ったが、準優勝。2021年、2年連続22回目の出場となった第73回全日本バレーボール高等学校選手権大会で準優勝。
高校関係者と組織
関連団体
- 撫子会 - 同窓会の名称。大阪国際滝井高等学校と前身校(帝国女子高等学校および帝国高等女学校)卒業生らによる任意団体
著名な出身者
芸能界
スポーツ
- ASUKA (プロレスラー)※日本では「華名」名義でも活動
バレーボール
脚注
- ^ a b “大阪国際学園広報誌「GLOBAL MIND」2020年夏(第65号”. 大阪国際学園. 2020年9月29日閲覧。
- ^ “【2022年新たに誕生】大阪国際中学校・高等学校(仮称)について【スクープ】” (日本語). 開成教育グループ 入試情報室. (2020年9月16日) 2020年9月29日閲覧。
- ^ “シェフになったVリーグアタッカー…第二の人生の味わい方” (日本語). 産経新聞. (2019年9月17日) 2020年9月30日閲覧。
- ^ (3)「団塊の世代」が社会に与えたインパクト - 文部科学省
- ^ 1961年(昭和36年)312万人が4年後の1965年(昭和40年)507万人に急増した。
- ^ 官報昭和4年(1929年)1月19日 第615号
- ^ 官報昭和13年(1938年)12月6日 第3577号
- ^ “令和元年度 事業報告書”. 学校法人大阪国際学園. 2020年9月29日閲覧。
- ^ “募集要項|入試情報|大阪国際滝井高等学校”. 大阪国際滝井高等学校. 2020年9月29日閲覧。
- ^ ドラマのロケーションは、実際には本校内ではほとんど行われていない。