夙川中学校・高等学校

兵庫県神戸市にある中高一貫校

夙川中学校・高等学校(しゅくがわちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、兵庫県神戸市兵庫区にある私立中学校高等学校で、学校法人須磨学園が運営する。

夙川中学校・高等学校
地図北緯34度40分47.8秒 東経135度09分36.7秒 / 北緯34.679944度 東経135.160194度 / 34.679944; 135.160194座標: 北緯34度40分47.8秒 東経135度09分36.7秒 / 北緯34.679944度 東経135.160194度 / 34.679944; 135.160194
過去の名称 増谷裁縫女学校
増谷女学校
増谷高等家政女学校
増谷高等女学校
夙川学院中学校・高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人須磨学園
設立年月日 1880年
(現在の夙川中・高は2019年開校)
創立者 増谷かめ(旧夙川学院中・高)
閉校年月日 2021年(旧夙川学院中・高最後の学年が卒業)
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード C128310000344 ウィキデータを編集(中学校)
D128310000360 ウィキデータを編集(高等学校)
高校コード 28535J
所在地 652-0043
兵庫県神戸市兵庫区会下山町1-7-1
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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2019年3月まで「夙川学院中学校・高等学校」として学校法人夙川学院が運営した。2016年度から2018年度までポートアイランド内の神戸市中央区港島に所在した。(2016年度の移転前は、兵庫県西宮市に所在)

沿革

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  • 1880年 増谷かめが増谷裁縫塾を開設
  • 1892年 大火により塾舎全焼、移転
  • 1901年 増谷裁縫女学校設立認可、開校
  • 1907年 校舎新築により移転。修業年限3か年の本科および専修科、別に修業年限1か年の補習科を設置
  • 1915年 校名を増谷女学校と改称
  • 1927年 校名を増谷高等家政女学校と改称
  • 1933年 移転
  • 1936年 増谷高等女学校(5年制)設立認可。財団法人を設立
  • 1945年 戦災により校舎全焼。移転
  • 1948年 移転。法人名を財団法人夙川学院に改める。学制改革を受けて新制の中学校・高等学校として夙川学院中学校・高等学校に改組
  • 1951年 財団法人夙川学院を学校法人夙川学院に改める
  • 1967年 高等学校に美術科、体育科を設置。敷地内に夙川学院短期大学付属幼稚園を開園
  • 1980年 夙川学院創立100周年
  • 1991年 高等学校に英語科を設置
  • 1992年 夙川学院創立110周年記念温水プール棟起工式
  • 1998年 兵庫県高等学校総合体育大会で30年連続して総合優勝
  • 2001年 高等学校の英語科を国際教養科に改称
  • 2003年 高等学校の国際教養科を募集停止
  • 2016年 神戸市ポートアイランドへ移転。男女共学化。美術科、体育科の募集停止
  • 2017年 学校法人須磨学園と業務提携を発表
  • 2019年 学校法人夙川学院から学校法人須磨学園へ売却、設置者変更。校名を夙川中学校・高等学校に改称して開校。従来のキリスト教教育を取りやめ[1]、募集停止中の高等学校国際教養科、美術科、体育科を正式に廃止。神戸学院大学附属中学校・高等学校の旧校地(現在地)に移転
  • 2021年 夙川学院中学校・高等学校は最後の入学生が卒業し、閉校。

学科

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  • 高等学校
    • 普通科
  • 中学校

所在地

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港島時代の校舎

部活動

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運動部
  • 陸上競技、サッカー、バスケットボール、空手道、硬式テニス、水泳部、卓球部、柔道部、バドミントン、ダンス、剣道、ゴルフ、軟式野球
文化部
  • E.S.S.、クッキング、ボランティア、理科研究、放送、吹奏楽、軽音楽(高校のみ)、茶道、書道、美術、演劇・映画研究部、箏曲、囲碁・将棋、歴史研究会、クイズ研究、華道、競技かるた、文芸

上記は、公式サイトの部活動欄[2]の記載による。

柔道部は、1998年、1999年の全国中学校柔道大会女子団体戦優勝や、2017年、2018年の全国高等学校柔道選手権大会女子団体戦優勝などの実績を有する。

ハンドボール部は全国屈指の強豪であり、今まで獲得した全国タイトルは計17回(インターハイ7回、選抜5回、国体5回)であり、2010年まで兵庫県高校総体を22連覇していたが、2018年度限りで廃部となっている。ソフトボール部は全国屈指の強豪であり、今まで獲得した全国タイトルは、計20回(インターハイ9回、選抜5回、国体6回)であったが、2019年5月現在の公式サイトの部活動欄では紹介されていない[2]

著名な出身者

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著名な教職員・関係者

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  • 長沢宏行(高校女子ソフトボール部元監督)

関連項目

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ハルヒらが通う私立光陽園女子大学付属高等学校のモデルとして使用された。2010年当時の正門が劇中で描かれている[3]。なお、その後の2016年と2019年に移転しており、現在の正門・校舎とは異なる。

脚注

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  1. ^ "夙川学院が須磨学園の傘下に キリスト教教育は中止に". キリスト新聞. 2018年8月1日. 2023年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月16日閲覧
  2. ^ a b 部活動-夙川学院中学校・高等学校 2019年5月15日閲覧。
  3. ^ ニュータイプ 編『公式ガイドブック 涼宮ハルヒの消失』(初版)角川書店、2010年2月25日。ISBN 978-4-04-854461-0。142-143頁。

外部リンク

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