外崎千代吉
外崎 千代吉(とのさき / とのざき[1] ちよきち、1897年7月20日[2] - 1974年5月14日[1])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。五所川原市長。
経歴
編集青森県五所川原村出身[3]。日本大学政治経済学部に入るが、中退する[3]。北海道に渡り、函館の床屋で修業し、理髪店を開業する[3]。五所川原町議、青森県議、脇元村村長を経て[1][2][3]、1942年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)で青森2区(当時)から無所属(翼協非推薦)で立候補したが、3,000票余りで落選した[4]。戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙でも無所属で立候補したが落選[5]。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において青森2区から社会革新党で立候補して当選した[6]。次の1949年の第24回衆議院議員総選挙で落選[7]、その後の総選挙でも協同党、社会党右派から続けて立候補したが落選が続いた[7]。
1954年10月、五所川原市が発足、翌月初代市長に就任した[1][2][3]。就任早々広報紙を発行[2]。翌年3月には嘉瀬村の一部を編入[2]。7月には市章を制定した[2]。1956年には8月に金木町の一部、9月には七和村の大部分、11月には鶴田町の一部を編入した[2]。1957年には五所川原市で「平和産業大博覧会」が開かれ、42万人の来場者が訪れたが、赤字となった[3]。博覧会の跡地には市営住宅が建設された[2][3]。市長は1期務めた。1960年の第29回衆議院議員総選挙において民主社会党(後の民社党)から立候補したが落選した[8]。
この他、陸奥タイムス、青森日報、小泊造船の各社長を務め[1][3]、全国農民同盟青森県連合会長や市遺族会会長も務めた[3]。1970年、勲四等瑞宝章を受章した。1974年死去。
脚注
編集参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
- 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
公職 | ||
---|---|---|
先代 新設 |
青森県五所川原市長 1954年 - 1958年 |
次代 山内久三郎 |