基隆要塞(きいるんようさい)とは、台湾北部の基隆港防備のため設置された大日本帝国陸軍要塞である。本項では、本要塞の任務を引き継いだ独立混成第76旅団についても述べる。

概要

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基隆は澎湖島高雄と共に、台湾防衛上の要地であり、艦船修理、軍需品の補給や南進の基地として重要であり、その防衛のため要塞が築造された。

1900年3月、外木山砲台が着工され、1905年6月までに10砲台・堡塁が竣工した。1903年5月に基隆要塞司令部が設置された。

その後、1920年の要塞整理により兵備は縮小された。

太平洋戦争が迫った1941年9月15日に要塞部隊の動員と臨時編成が行われ、主戦力である基隆重砲兵連隊基隆要塞重砲兵連隊通称号:台湾4512部隊)に改称した。11月8日には要塞の準戦備が発令された。1944年10月の台湾沖航空戦の際の空襲では、要塞の対空部隊が応戦したが、人員・設備ともにかなりの損害を被った。

連合国軍の上陸に備えた戦備で、1945年1月に要塞司令部および要塞重砲兵連隊は復帰させられた。新設野戦部隊である独立混成第76旅団(兵団文字符:律)の旅団長が、要塞司令官の任務を引き継いだ[1]。要塞重砲兵連隊は重砲兵第13連隊(通称号:律第12864部隊)に改編され、独混第76旅団に編合された。独混第76旅団は、重砲兵第13連隊のほか独立歩兵第565-567大隊を主要隷下部隊とし、港湾防空強化のため高射砲第162連隊の一部を配属されるなどしながら[2]、終戦まで基隆周辺の防備にあたった。

年譜

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  • 1900年(明治33年)3月 外木山砲台着工
  • 1901年(明治34年)3月 槓仔寮砲台着工
    • 5月 社寮島砲台着工
    • 11月 万人頭堡塁着工
  • 1902年(明治35年)1月 大武崙山堡塁竣工
    • 3月 外木山砲台竣工
    • 7月 白米甕砲台竣工
  • 1903年(明治36年)5月 基隆要塞司令部を基隆堡大沙湾庄に新設し6月8日より事務を開始[3]
    • 9月 社寮島砲台竣工
  • 1904年(明治37年)8月 万人頭堡塁竣工・八尺門砲台着工
    • 10月 槓仔寮砲台竣工
    • 12月 牛稠嶺砲台着工
  • 1905年(明治38年)2月 公山尾砲台着工
    • 5月 牛稠嶺砲台竣工
    • 6月 公山尾砲台・八尺門砲台竣工
  • 1945年(昭和20年)1月 要塞司令部および要塞重砲兵連隊を復帰

主要な施設

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白米甕砲台の砲座遺跡(台湾基隆市中山区)

基隆五大砲台

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歴代司令官

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脚注

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  1. ^ 「作命甲関係」、画像19枚目。
  2. ^ 「作命甲関係」、画像22枚目
  3. ^ 『官報』第5990号、明治36年6月22日。
  4. ^ 『官報』第2408号、大正9年8月11日。
  5. ^ 『官報』第3013号、大正11年8月16日。
  6. ^ 『官報』第1683号、昭和7年8月9日。
  7. ^ 『官報』第2765号、昭和11年3月24日。
  8. ^ 『官報』第2770号、昭和11年3月30日。

参考文献

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  • 浄法寺朝美『日本築城史 : 近代の沿岸築城と要塞』原書房、1971年12月1日。NDLJP:12283210 
  • 歴史群像シリーズ『日本の要塞 - 忘れられた帝国の城塞』学習研究社、2003年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 篠崎達男「日本陸軍「沿岸要塞」の戦い」『丸別冊 忘れえぬ戦場』太平洋戦争証言シリーズ18号、潮書房、1991年。
  • 田藤博「砲兵連隊の戦歴」『日本陸軍機械化部隊総覧』別冊歴史読本16巻6号、新人物往来社、1991年。
  • 「作命甲関係」『第十方面軍関係戦史資料』 アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C11110404600
  • 官報