喜多嶋修
日本の作曲家、プロデューサー
喜多嶋 修(きたじま おさむ、1949年2月3日[1] - )は、日本の作曲家[1]、音楽プロデューサー[1]である。「喜多島修」名義でも活動していた。
喜多嶋 修 | |
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別名 | ジャスティン・ヒースクリフ(吉野金次との匿名ユニット名) |
生誕 | 1949年2月3日(75歳) |
出身地 | 日本・神奈川県茅ヶ崎市 |
学歴 | 慶應義塾大学商学部卒業 |
ジャンル | |
職業 | 作曲家・音楽プロデューサー |
活動期間 | 1960年代 - |
共同作業者 | ザ・ランチャーズ |
公式サイト | www.eastquest.com |
概要
編集神奈川県茅ヶ崎市出身[1]。兄に同じくザ・ランチャーズの一員だった喜多嶋瑛がいる[2]。加山雄三とは母方の従弟にあたる[2]。妻は女優の内藤洋子[3]。妻との間に一男二女がおり、元女優の喜多嶋舞は第一子長女[4]。
ディスコグラフィー
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アルバム
編集- 弁才天 (1975年、アイランド・レコード/東芝EMI、ILS-80580) (デビューアルバム。ベースに細野晴臣が参加)
- オサム/OSAMU (1977年、アイランド・レコード、ILS-80936) (ボーカルにミニー・リパートンが参加)
- 素浪人/MASTERLESS SAMURAI (1980年、アルファレコード、ALR-6035) (ジョン・クレマー、スティックス・フーパー、ボビー・ハッチャーソン、松居和が参加)
脚注
編集出典
編集- ^ a b c d “喜多嶋修 作曲家/音楽プロデューサー”. East Quest Records, Inc.. 2015年9月29日閲覧。
- ^ a b 加山雄三『湘南讃歌』、82頁より引用
- ^ “元気です! 喜多嶋洋子「結婚当時より主人に…」”. ZAKZAK (2005年8月20日). 2015年9月29日閲覧。
- ^ “喜多嶋舞の父・修氏「大沢のでっちあげ」…長男出生騒動ドロ沼化”. SANSPO.COM (2014年1月17日). 2015年9月29日閲覧。