吉津度
吉津 度(よしづ わたる、1878年(明治11年)1月1日[1] - 1956年(昭和31年)6月30日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。医師、医学者。
経歴
編集堺県若江郡若江村(現在の大阪府東大阪市)出身[3]。1905年(明治39年)、内務省医術開業試験に合格[1]。陸軍三等軍医となり、日露戦争に従軍した[1]。除隊後、大阪細菌研究所所長、梅田病院院長を務めた[1]。また、大阪府会議員、同参事会員、同議長、大阪市会議員を務めた。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第16回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。
さらに、大阪医学高等専門学校(現在の大阪医科薬科大学)を設立し、理事長兼講師を務めた[3]。その他、三友製薬合名会社社長を務めた[3]。
出典
編集参考文献
編集- 『衆議院要覧(乙)昭和三年』衆議院事務局、1928年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。