北海道砂川高等学校

北海道砂川市にある公立高校

北海道砂川高等学校(ほっかいどうすながわこうとうがっこう、: Hokkaido Sunagawa High School)は、北海道砂川市にある、公立(道立)の高等学校2004年4月に北海道砂川北高等学校と北海道砂川南高等学校が統合されて誕生した。北海道で初めて単位制を導入している。

北海道砂川高等学校
地図北緯43度29分6.9秒 東経141度55分7.5秒 / 北緯43.485250度 東経141.918750度 / 43.485250; 141.918750座標: 北緯43度29分6.9秒 東経141度55分7.5秒 / 北緯43.485250度 東経141.918750度 / 43.485250; 141.918750
過去の名称 北海道砂川南高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 北海道の旗 北海道
学区 北海道空知北
併合学校 北海道砂川北高等学校
校訓 志高く真理求める智者となれ
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 普通科
学校コード D101222600013 ウィキデータを編集
高校コード 01198D
所在地 073-0122
北海道砂川市吉野2条南4丁目1番1号
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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少子化による公立高校の統合・再編の一環として、砂川北高等学校が平成16年度から新入生の募集を停止し、同時に砂川南高等学校が砂川高等学校となった。2006年3月に砂川北高等学校が最後の卒業生を送り出して閉校となったことに伴い統廃合が完了した。このような経緯から校舎は1981年に改築された旧・砂川南高等学校のものが使用されている。校舎老朽化が進む中、旧・砂川北高等学校跡地に新校舎を建設して移転するという案も出ているが、財政的な問題で実現は厳しい状況となっている。

沿革

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北海道砂川北高等学校

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  • 1938年 - 砂川高等家政女学校として開校
  • 1941年 - 砂川町立砂川高等女学校に改称
  • 1945年 - 庁立移管、北海道庁立砂川高等女学校に改称
  • 1950年 - 学制改革により北海道立砂川北高等学校に改称、共学校へ移行
  • 2004年 - 生徒募集を停止、北海道砂川南高等学校との統合校である北海道砂川高等学校へ移行
  • 2006年 - 在校生の卒業をもって閉校

北海道砂川南高等学校

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  • 1942年 - 砂川町立砂川中学校として開校
  • 1946年 - 庁立移管、北海道庁立砂川中学校に改称
  • 1950年 - 学制改革により北海道砂川南高等学校に改称
  • 2004年 - 北海道砂川北高等学校との統合により北海道砂川高等学校として再編

北海道砂川高等学校

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  • 2004年
    • 4月1日開校、単位制による全日制課程普通科として新入生よりスタート(6学級)、4月9日開校式・入学式
    • 7月1日、道教委「北海道パイオニアハイスクール」奨励校指定
  • 2005年 - 4月1日、全日制課程4学級
  • 2006年 - 4月1日、北海道砂川高等学校校歌校章制定
    • 道教委 「北海道学力アッププロジェクト(Englishプロジェクト 指定協力校)」[1]指定
  • 2010年 - 4月1日、「SPP(サイエンス・パートナーシップ・プロジェクト[2])」指定

課外活動

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著名な出身者

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北海道砂川北高等学校

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北海道砂川南高等学校

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北海道砂川高等学校

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 北海道学力向上推進事業(高等学校学力アッププロジェクト)”. 北海道教育委員会(インターネットアーカイブのキャッシュ). 2010年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月23日閲覧。
  2. ^ 科学技術振興機構 (JST) による科学学習支援事業 科学技術振興機構 理数学習支援センター サイエンス・パートナーシップ・プロジェクト 事業の概要”. 独立行政法人 科学技術振興機構. 2014年1月23日閲覧。
  3. ^ 第56回選抜高等学校野球大会1984年PL学園に18対7で敗れ1回戦敗退)、第74回全国高等学校野球選手権大会1992年北陸高校に5対4で惜敗し1回戦敗退)、第76回全国高等学校野球選手権大会1994年、1回戦は江の川高校に6対5で勝利し2回戦進出。2回戦は南北海道代表・北海高校との「北海道対決」となったが10対1で敗退)、当時の監督は名物指導者として知られた佐藤茂富(1997年からは鵡川高校野球部監督に就任、2012年勇退。)。

外部リンク

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