佐藤明義
佐藤 明義(さとう あきよし、1992年3月3日[1][2] - )は、北海道砂川市出身[3]の元アマチュア野球選手(投手)、監督。2022年より、すながわリバーズの監督を務めた[4]。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道砂川市 |
生年月日 | 1992年3月3日(32歳) |
身長 体重 |
166 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
この表について
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経歴
編集小学生時代は砂川スティッカーズで、中学生時代は砂川中学校の野球部で野球をプレー[2]。
砂川高等学校では1年秋から主戦投手としてほとんどの試合で登板。身長166cmと小柄ながら、右腕エースとして活躍した[5][6]。高校卒業後は上京し、創価大学に進学。東京新大学野球連盟所属の野球部でも投手としてプレー[1]。4年生のときに同部が出場した第62回大学選手権ではベンチ入りするも、同期には石川柊太がおり、同大会での登板の機会は無かった[7]。
大学卒業後は航空自衛隊に入隊し、北海道に戻る。自衛隊内の航空自衛隊千歳硬式野球部で引き続き投手としてプレーした[8]。
2022年よりプロ野球独立リーグ・北海道ベースボールリーグで活動を始めるすながわリバーズの球団代表・斎藤邦宏より熱い要請を受け[8]、4月21日、同球団の初代監督に就任することが発表された[2]。また、5月1日からは商店街・観光振興事業担当の「地域おこし協力隊」として地元・砂川市役所に勤務[9]。土日等の勤務時間外にすながわリバーズの監督として活動する[3]。さらに同年は札幌学生野球連盟所属の札幌学院大学でもコーチを務めていた[10]。2023年もすながわの監督を続投する[11]。
2023年のシーズン最終日となる9月18日に選手登録をおこない[12]、兼任監督となった。監督としては2年連続でリーグ優勝を達成している[13]。
すながわリバーズは2023年シーズンをもって北海道ベースボールリーグを脱退したが[14]、2024年の活動については発表されておらず、佐藤の去就も不明である。
詳細情報
編集背番号
編集- 70[4](2022年 - 2023年)
脚注
編集- ^ a b “佐藤 明義 (サトウ アキヨシ)”. 部員紹介. 創価大学硬式野球部. 2022年6月23日閲覧。
- ^ a b c すながわリバーズ [@sunagawariverz] (2022年4月21日). "【監督就任のお知らせ】". X(旧Twitter)より2022年6月23日閲覧。
- ^ a b “地域おこし協力隊員が2名増えます”. 砂川市 (2022年4月28日). 2022年6月23日閲覧。
- ^ a b “HBLすながわリバーズ表敬訪問”. 砂川市 (2022年4月27日). 2022年6月23日閲覧。
- ^ 中尾猛 (2009年6月17日). “砂川4度目の挑戦“初”北大会へ手応え”. 日刊スポーツ 2022年6月23日閲覧。
- ^ “砂川「実戦力」で北目指す…高校野球北北海道大会空知地区予選組み合わせ抽選”. スポーツ報知. (2009年6月17日)
- ^ “第62回全日本大学野球選手権大会出場校・創価大(20)”. 全国大学野球総合情報サイト 大学野球~神宮への道~. 2022年6月23日閲覧。
- ^ a b “砂川に新野球チーム発足!すながわリバーズ5/14に初の公式戦”. 砂川市地域おこし協力隊Facebook (2022年5月10日). 2022年6月23日閲覧。
- ^ “地域おこし協力隊”. 砂川市. 2022年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月23日閲覧。
- ^ “選手・スタッフ”. 札幌学院大学硬式野球部. 2022年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月23日閲覧。
- ^ すながわリバーズ [@sunagawariverz] (2023年3月3日). "佐藤監督続投のお知らせ". X(旧Twitter)より2023年3月4日閲覧。
- ^ 【出場選手登録のお知らせ】 - すながわリバーズ公式Instagram(2023年9月18日)2023年9月19日閲覧。
- ^ “すながわ今季最終戦、HBL2連覇”. 北海道新聞. (2023年9月18日) 2023年9月18日閲覧。
- ^ “北海道ベースボールリーグ 砂川・リバーズの脱退発表 「来季は2球団で」”. 北海道新聞. (2023年11月15日) 2023年11月16日閲覧。( 要購読契約)