北海道本別高等学校
日本の北海道にある高等学校
北海道本別高等学校(ほっかいどうほんべつこうとうがっこう、英: Hokkaido Honbetsu High School)は、北海道中川郡本別町に位置する道立高等学校。
北海道本別高等学校 | |
---|---|
北緯43度7分35.3秒 東経143度35分48.0秒 / 北緯43.126472度 東経143.596667度座標: 北緯43度7分35.3秒 東経143度35分48.0秒 / 北緯43.126472度 東経143.596667度 | |
過去の名称 |
本別町立本別中学校 北海道庁立本別中学校 北海道立本別中学校 北海道立本別高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 北海道 |
学区 | 北海道十勝 |
校訓 | 創意実践 |
設立年月日 | 1942年(昭和17年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科(2学級) |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D101264600015 |
高校コード | 01325A |
所在地 | 〒089-3308 |
北海道中川郡本別町弥生町49-2 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集十勝支庁で2番目の旧制中学校として開校した。通称は本高。地理的な要因から地元の中学校からの進学者が多数を占めるが、2006年(平成18年)4月21日に北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線が廃止となり、近隣の陸別町・足寄町からの通学が不便となった為、生徒数は減少傾向にあり 定員割れの状態が続いている。
沿革
編集- 1942年(昭和17年)
- 1943年(昭和18年)10月18日 - 新校舎落成移転
- 1945年(昭和20年)7月15日午前 - 本別町を米軍の艦載機が連続空爆し本校の校舎も被弾し、生徒の避難指示に当たっていた山内三郎教頭が殉職
- 1946年(昭和21年)3月30日 - 北海道庁立本別中学校となる
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)4月1日
- 1949年(昭和24年)4月6日 - 西足寄分校を開設および定時制課程農業科(季節)を設置
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 北海道本別高等学校となる
- 1951年(昭和26年)9月19日 - 開校10周年記念式典挙行
- 1952年(昭和27年)3月4日 - 十勝沖地震により大被害を受ける
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 西足寄分校が西足寄町立北海道西足寄高等学校(現在の北海道足寄高等学校)として独立する
- 1956年(昭和31年)9月16日 - 開校15周年記念式典挙行、校歌制定
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 北海道札幌南高等学校通信教育協力校となる
- 1961年(昭和36年)3月31日 - 定時制課程普通科を閉科
- 1963年(昭和38年)3月12日 - 校舎火災(屋内体育館以外全焼)
- 1964年(昭和39年)
- 1972年(昭和47年)9月18日 - 開校30周年記念式典挙行
- 1974年(昭和49年)3月26日 - 商業棟新築完成
- 1982年(昭和57年)
- 4月1日 - 定時制農業科の第1学年募集を停止
- 9月4日 - 開校40周年記念式典を挙行
- 1985年(昭和60年)
- 1993年(平成5年)3月15日~翌年10月26日 - 本校舎を含む全施設の全面改築が続けて完了する
- 1994年(平成6年)9月18日 - 校舎改築落成・開校50周年記念式典挙行
- 1995年(平成7年)3月22日 - プール新築完成
- 2003年(平成15年)4月1日 - 文部科学省より学力向上フロンティア・ハイスクール事業研究校の指定を受ける
- 2004年(平成16年)1月29日 - 教育情報化設備を整備(インターネット整備)
- 2005年(平成17年)
- 2017年(平成29年)4月12日 - 道教委は、「北海道立高等学校学則の一部を改正する教育委員会規則」(昭和26年規則8号。別表第1)を教育庁原案通り全会一致で議決。これにより平成29年度の生徒定員(第一学年普通科現行80)は40(一学級分)減員され40となった[1]。
- 2022年(令和4年)10月2日-開校80周年記念式典を挙行
いじめ事件
編集著名な出身者
編集脚注
編集この節の加筆が望まれています。 |
- ^ 北海道教育委員会 (12 April 2017). 北海道教育委員会会議録. 札幌市.