加賀市立山中小学校

石川県加賀市山中温泉上野町にある公立小学校

加賀市立山中小学校(かがしりつ やまなかしょうがっこう)は、石川県加賀市山中温泉上野町にある公立小学校

加賀市立山中小学校
地図北緯36度15分10.72秒 東経136度22分6.37秒 / 北緯36.2529778度 東経136.3684361度 / 36.2529778; 136.3684361座標: 北緯36度15分10.72秒 東経136度22分6.37秒 / 北緯36.2529778度 東経136.3684361度 / 36.2529778; 136.3684361
過去の名称 鷺泉小学校
山中小学校
江沼郡山中村立山中小学校
山中尋常高等小学校
山中町立尋常高等小学校
江沼郡国民学校
山中町立山中小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 加賀市
併合学校 山中町立荒谷小学校
山中町立九谷小学校
山中町立片谷小学校
山中町立大内小学校
設立年月日 1873年4月
共学・別学 男女共学
分校 ひばりヶ丘分校
(山中温泉医療センター内)
学期 3学期制
学校コード B117220600175 ウィキデータを編集
所在地 922-0117
石川県加賀市山中温泉上野町ル15番9号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要

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沿革

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  • 1873年(明治06年)4月 - 恩栄寺の庫裏(くり)をかりて学校を開く。名前は鷺泉小学校とする[1]
  • 1873年(明治06年)10月 - 手狭になり、医王寺に移る。
  • 1874年(明治07年)10月 - 灯明寺横に学校が建築される。名前を山中小学校とする。
  • 1881年(明治14年) - 江沼郡山中村立山中小学校と名前を改める。児童数が増加。
  • 1885年(明治18年) - 高等科を設け、8年間学校へ通える体制を整える。
  • 1887年(明治20年) - 8年間の学校を尋常科(4年)、簡易科(4年)の二つに分ける。
  • 1891年(明治24年)9月 - 児童数増加、校舎新築する。
  • 1892年(明治25年) - 尋常科(6年)、高等科(2年)として、校名を山中尋常高等小学校と改める。
  • 1896年(明治29年) - 工業補習学校を小学校の中に設置する。
  • 1909年(明治42年)12月 - 女子のために裁縫学校を小学校の中に設ける。
  • 1913年(大正02年)2月 - 町制がしかれ山中町立尋常高等小学校となる。
  • 1923年(大正12年)11月 - 新校舎が完成する。
  • 1925年(大正14年) - 町立幼稚園を小学校に付設する。
  • 1931年(昭和06年)5月 - 山中大火。校舎焼失する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により校名が「江沼郡国民学校」となる。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により「山中町立山中小学校」と名前が改められる。
  • 1953年(昭和28年) - 創立80周年記念式典が開催される。
  • 1956年(昭和31年) - ひばりヶ丘分校が設置される。
  • 1972年(昭和47年) - 荒谷・九谷・片谷・大内の4小学校と山中小学校が統合される。
  • 1974年(昭和49年) - 各教場が廃止され、上野町に完成した鉄筋校舎に移る。
  • 2005年(平成17年) - 山中町と加賀市との合併に伴い、「加賀市立山中小学校」と名前が改める。
  • 2015年(平成27年)- 加賀市立菅谷小学校を統合。

教育方針

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学校行事

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※月ごとの学校行事、特色。

  • 4月
  • 5月
  • 6月
  • 7月
  • 8月
  • 9月
  • 10月
  • 11月
  • 12月
  • 1月
  • 2月
  • 3月

児童会活動・クラブ活動など

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通学区域

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  • 加賀市山中温泉
    • こおろぎ町・南町・湯の出町・栄町・河鹿町・東町二丁目・本町二丁目・湯の本町・冨士見町・薬師町・白山町・東町一丁目・本町一丁目・西桂木町・東桂木町・上野町・塚谷町・上原町二丁目・加美谷台・下谷町・大内町・枯淵町・片谷町・坂下町・小杉町・生水町・九谷町・真砂町・四十九院町・中津原町・滝町・菅生谷町・荒谷町・今立町・大土町・市谷町・杉水町・西住町・上新保町[2]

進学先中学校

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交通アクセス

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最寄りのバス停:「山中温泉医療センター」、加賀温泉バス(温泉山中)[3]

校区内の主な施設

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著名な出身者

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前身の山中尋常高等小学校出身者

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脚注

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関連項目

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外部リンク・参考文献(出典)

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