加田範胤
加田 範胤(かだ のりたね)は、江戸時代後期の地下官人[1]。千葉洪胤は孫。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明5年11月25日(1785年12月26日) |
死没 | 元治元年9月1日(1864年10月1日) |
官位 | 従五位上・周防守 |
主君 | 正親町三条公則→正親町三条実愛 |
氏族 | 入江家→加田氏 |
父母 | 父:入江則徳 |
兄弟 | 則孝、加田範胤、則業 |
子 | 範貞、範忠 |
概要
編集加田氏は庭田家の家侍を務めた家で、「庭田大納言殿内」の加田市正による慶応4年(1868年)3月20日付の願書が現存している[2]。
文政2年(1819年)6月13日には従六位下・周防守に叙された。同10年(1827年)1月21日には従六位上、天保6年(1835年)1月14日には正六位下、同13年(1842年)3月16日には従五位下[注釈 1]、嘉永3年(1851年)12月19日に従五位上[注釈 2]に叙されている。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 『地下家伝 第27-33 附録1・目録1 (日本古典全集 ; 第6期)』(日本古典全集刊行会、1938年)p.1468
- ^ 『内国事務局叢書 第廿六冊』