倉敷市立岡田小学校

岡山県倉敷市にある小学校

倉敷市立岡田小学校(くらしきしりつおかだしょうがっこう)は、岡山県倉敷市真備町岡田にある公立小学校岡田藩陣屋跡に建てられている[3]

倉敷市立岡田小学校
倉敷市立岡田小学校の銘板(2023年5月)
地図北緯34度38分45秒 東経133度42分16秒 / 北緯34.64571度 東経133.70445度 / 34.64571; 133.70445座標: 北緯34度38分45秒 東経133度42分16秒 / 北緯34.64571度 東経133.70445度 / 34.64571; 133.70445
過去の名称 時習小学校
時習尋常高等小学校
岡田国民学校
岡田村立岡田小学校
大備村立岡田小学校
真備町立岡田小学校
真備町穂井田村学校組合立岡田小学校
真備町立岡田小学校(2代)
国公私立の別 公立学校
設置者 倉敷市
併合学校 黄薇高等小学校
設立年月日 1873年明治6年)4月23日[1]
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B133210002955 ウィキデータを編集
所在地 710-1311
岡山県倉敷市真備町岡田619番地2[2]
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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2023年令和5年)に創立150周年を迎えた[4]

沿革

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《主な出典:[5]

通学区域

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  • 真備町岡田、真備町辻田、真備町市場(みどりが丘団地に限る)[20]

進学先中学校

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交通アクセス

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学区が隣接している小学校

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周辺の施設

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脚注

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注釈

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  1. ^ 啓蒙所は小学校の前身。1872年(明治5年)の学制発布に先駆けて小田県域(備中・備後地域)においては80を上回る啓蒙所が設けられた[6]。1873年(明治6年)以降の各地での小学校設立とともにそのまま小学校へと移行した。
  2. ^ 藩邸主屋は校長室、教員室として利用された[7]
  3. ^ 後に1947年(昭和22年)の火災で焼失。
  4. ^ 出典(国民学校沿革)によれば組合を構成する村々の中に岡田村は含まれない。1911年(明治44年)3月31日などの記事を参照。
  5. ^ 設置場所は後の岡田村内にあたる。ただし、岡田村発足前の旧岡田村と辻田村のいずれにあたるかは不詳。
  6. ^ 当時は各地で同名の「時習小学校」が設けられていた。一般的に「時習」の名称は『論語』の中にある「学而時習之」(学んで時に之を習う)の節から採られたことによる。
  7. ^ なお、出典の岡田小学校沿革にもかかわらず、『岡田国民学校沿革』によれば「(下道郡)第一番学区時習小学校」と改称されたのは、これよりも先の1882年(明治15年)12月のことである。1893年(明治26年)4月の改称は小学校教則の改正によるものであるが[1]、改正内容については不詳。
  8. ^ その後1941年(昭和16年)に国民学校となるまで、名称は変わらず「時習尋常高等小学校」のままであったようである(1926年[8]・1935年[9]の各時点の資料による)。なお、同名の学校が東京府北豊島郡西巣鴨町(1935年時点は東京市豊島区西巣鴨)にもあった[10][11](後の豊島区立時習小学校にあたる。同校は2003年に統合のため廃校となった〈豊島区立朋有小学校#沿革の項目を参照〉。)。
  9. ^ すべて大正天皇御大典記念事業として実施。
  10. ^ 穂井田村の玉島市または真備町への分割編入に伴うもの。玉島市真備町学校組合に法人格が継承されたと考えられる。倉敷市立穂井田小学校の沿革によれば1959年(昭和34年)まで存続[13]
  11. ^ なお、1956年(昭和31年)当時の編入合併の協定事項では、教育施設の処置として学校の設置者については一部事務組合を設けることとされており[14]、出典の岡田小学校沿革にもかかわらず、正しくは本校においても玉島市真備町学校組合によって運営されていたと考えられる(旧真備町立箭田高等学校の沿革も参考)。したがって本来は、本文記述にもかかわらず、1956年(昭和31年)4月 - 1959年(昭和34年)3月の間は玉島市真備町学校組合立岡田小学校であって、1959年(昭和34年)4月になって真備町立岡田小学校に復称したとするのが正しいと考えられる。なお、1959年(昭和34年)当時の児童数は244人である[15]
  12. ^ 岡田藩藩邸趾として残されていた門付近の白壁の塀も、拡張工事の際に撤去された[7]
  13. ^ 同年度の児童数は189人[19]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 学校公式ホームページに掲載の『岡田国民学校沿革』(1943年〈昭和18年〉4月23日、開校70周年)に基づく。
  2. ^ 小学校一覧 - 真備地区”. 倉敷市. 2024年4月17日閲覧。
  3. ^ 倉敷市立岡田小学校トップページ”. 倉敷市立岡田小学校. 2024年4月12日閲覧。 “岡田藩の陣屋のあとにある小学校です”
  4. ^ a b 倉敷・岡田小学校が150周年記念 児童の夢や希望乗せ 風船空へ”. KCT NEWS. 株式会社倉敷ケーブルテレビ (2023年3月3日). 2024年4月12日閲覧。
  5. ^ 沿革”. 倉敷市立岡田小学校. 2024年4月16日閲覧。
  6. ^ 近代発 見果てぬ民主II <12> 啓蒙所から学制へ 功利的な立身出世主義 前面」『中国新聞デジタル』2022年3月3日。
  7. ^ a b 小野克正、加藤満宏、中山薫「岡田を歩けば「岡田藩屋敷跡」中山薫」『真備町(倉敷市)歩けば』日本文教出版株式会社岡山文庫〉、2016年6月17日、116-118頁。 
  8. ^ 帝国地方行政学会 編『全国学校名鑑』(大正15年版)帝国地方行政学会、1926年3月、880頁。NDLJP:937724/480 
  9. ^ 和樂路屋『最近調査大日本分縣地圖 併地名總攬 併全國學校名簿』(昭和10年度改正版)和樂路屋、1935年1月、全国尋常高等小学校 岡山県35頁。NDLJP:11616533/481 
  10. ^ 全国学校名鑑(1926), p. 229.
  11. ^ 大日本分縣地圖(1935), p. 全国尋常高等小学校 東京府15.
  12. ^ a b 69年間受け継がれたピアノ 西日本豪雨の被害を経て小学校に音色がよみがえる【岡山・倉敷市】」『OHK岡山放送』2022年11月25日。
  13. ^ 学校紹介 - 沿革の概要”. 倉敷市立穂井田小学校. 2024年4月16日閲覧。
  14. ^ 岡山県地方課 編『岡山県市町村合併誌』(市町村編)岡山県、1960年4月、742頁。NDLJP:3025038/378 
  15. ^ 山陽新聞社 編『山陽年鑑』(昭和35年版)山陽新聞社、1959年10月、224頁。NDLJP:3012339/130 6学級編成。教員は8人。
  16. ^ 学校の特色”. 倉敷市立岡田小学校. 2024年4月17日閲覧。
  17. ^ くらしきの巨樹・老樹認定状況一覧”. 倉敷市. 2024年4月17日閲覧。
  18. ^ トップページ”. 倉敷市立岡田小学校. 2023年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月16日閲覧。 “創立150周年記念式典の日 11月11日(土) 記念式典と岡田地区民交流集会が行われました”
  19. ^ 学校案内 - 児童数”. 倉敷市立岡田小学校. 2023年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月16日閲覧。
  20. ^ 小学校の学区一覧表”. 倉敷市. 2024年4月16日閲覧。
  21. ^ 中学校の学区一覧表”. 倉敷市. 2024年4月16日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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