倉敷市真備ふるさと歴史館
倉敷市真備ふるさと歴史館(くらしきしまびふるさとれきしかん、英: Kurashiki City Mabi Hometown History Museum)は、岡山県倉敷市真備町にある博物館。大池ふるさと公園の中にある。建物の背後(北西)に岡田大池を湛えている。
倉敷市真備ふるさと歴史館 | |
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倉敷市真備ふるさと歴史館の全景(2023年5月) | |
施設情報 | |
正式名称 | 倉敷市真備ふるさと歴史館 |
前身 | 真備町ふるさと歴史館 |
専門分野 | 歴史(岡田藩)、文学(横溝正史) |
収蔵作品数 | 約3,800点 |
来館者数 | 1,711人(2022年度)[1] |
事業主体 | 倉敷市 |
管理運営 | 岡田藩史研究会(指定管理者) |
年運営費 | 904千円(2022年度)[注 1][1] |
開館 | 1994年7月3日 |
所在地 |
〒710-1311 日本 岡山県倉敷市真備町岡田610番地 |
位置 |
北緯34度38分45.6秒 東経133度42分14.3秒 / 北緯34.646000度 東経133.703972度座標: 北緯34度38分45.6秒 東経133度42分14.3秒 / 北緯34.646000度 東経133.703972度 |
最寄駅 | 川辺宿駅 |
プロジェクト:GLAM |
1994年7月3日に[2]、地元を治めた岡田藩の古文書類[注 2]の研究と、終戦間際から3年余りこの地に疎開していた推理作家・横溝正史の顕彰を目的として開館された[5][注 3]。約3,800点の資料が収蔵されている[6]。
2005年8月1日に真備町が倉敷市へ編入合併[7]される前の館の名称は「真備町ふるさと歴史館」であり[8][9]、館の所在地は「吉備郡真備町大字岡田610番地」であったが、倉敷市への合併に伴い、館の名称と所在地は現在の表記に変更された。
倉敷市からの指定管理者である岡田藩史研究会によって管理運営されている[10][11]。
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大池ふるさと公園とふるさと歴史館の案内板
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大池ふるさと公園の説明板
概要
編集江戸時代にこの地を治めた岡田藩の文書(もんじょ)[注 2]をはじめ、当時の村人の暮らしや村の支配、産業の工夫などを示す資料を公開している[12]。古文書や貴重な刀剣などの展示物は、歴史学者の磯田道史の寄贈によるものなど、多くの人の善意によって成り立っている[13]。
真備町岡田地区は、終戦間際の1945年春から3年余り、横溝正史が家族5人で身を寄せた地で、金田一耕助が初登場する『本陣殺人事件』の舞台でもあることから、「横溝正史コーナー」が設けられている[5]。
当館の開設に先立ち、横溝と親交のあった住民らが東京の横溝家を訪ね、ゆかりの品の寄贈を打診し、「岡田は戦後の横溝作品の礎を築かせてもらった地。本人も喜ぶ」と約160点の品が提供されている[5]。
前庭には岡山藩領の境界石と、金田一耕助のブロンズ像[注 4]が設置されている。
展示物
編集岡田藩伊東氏の歴史を紹介し[12]、山陽道の宿場町として栄えた川辺宿[注 5]を描いた絵図[15]や本陣絵図[16]、川辺宿を支えた伊東氏の家系図[15]、川辺宿模型や岡田藩藩邸復元図絵、岡田藩の支配した飛地の資料、藩の財政や領地などの資料、藩校「敬学館」の資料[8]、江戸の藩主とのやり取りが記された文書や岡田藩が発行した藩札などを展示している[17]。
また、当地の産業を発展させ、高梁川の水害を防ぐ努力をして生きてきた当時の村人の暮らしが分かる資料を展示している[18]。
「横溝正史コーナー」では、横溝愛用の品である執筆の際に使用したメガネやペン[17]、最晩年まで愛用していた文机や紅茶カップ、書きかけの原稿などを展示し[5]、東京都世田谷区成城の自宅書斎の一部を再現している[12]。文机は東京の自宅から運び込んだ実物で[19][注 6]、肺結核を患い床に伏す時間が長かった横溝が寝床でも執筆できるよう、脚と脚の間が布団1枚分ほどある幅180センチメートル・奥行き70センチメートルの特注品である[5]。畳敷きと障子などは、東京の自宅で写真を撮らせてもらって再現したものである[13]。
施設情報
編集交通アクセス
編集周辺の関連施設
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 収入ベースで倉敷市からの指定管理料(委託料)にあたる金額を計上。自主事業収入を含んでいない。
- ^ a b 岡田藩藩政文書や岡田藩主伊東家文書であり、倉敷市真備ふるさと歴史館に所蔵・展示されているものを含めて「岡田文庫」と総称される[3][4]。
- ^ 現行の設置根拠である倉敷市真備ふるさと歴史館条例は、その設置目的を「岡田藩等に関する歴史資料の収集、保管及び活用を図り、市民の教養及び文化の向上に寄与すること」(第1条)としている。
- ^ 金田一耕助像は、2011年10月22日に開催された第3回1000人の金田一耕助のメインイベントとして行われた除幕式で初披露された[14]。
- ^ 伊東氏は岡田村の前に、宿場のあった川辺村に陣屋を設けており、岡田村に陣屋を移したのは4代藩主・長貞のときである[8]。
- ^ 横溝の妻・孝子は「(自宅に)机が無くなってさびしいので、全く同じ物を作って同じ場所に置いている」と述べていた[19]。
出典
編集- ^ a b “令和4年度指定管理業務評価結果書(倉敷市真備ふるさと歴史館)”. 倉敷市. 2023年11月18日閲覧。
- ^ 「経済日誌(県内 平成6年7月)」『岡山経済』第200号、財団法人岡山経済研究所、1994年9月、70頁、NDLJP:2847790/37。
- ^ 藤原憲芳「真備ふるさと歴史館収蔵の岡田文庫について」『倉敷の歴史』18号、倉敷市総務局総務部市史編さん室、2008年3月、101-110頁。doi:10.24484/sitereports.124510-82335。
- ^ “ケアハウスつるがたでいきいきと過ごされている入居者様をご紹介します”. 公益財団法人 大原記念倉敷中央医療機構. 2023年11月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月18日閲覧。 “岡田文庫といって、県内では知られた古文書です”
- ^ a b c d e “横溝正史の書斎 真備ふるさと歴史館”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 2023年3月21日閲覧。
- ^ “倉敷市真備ふるさと歴史館”. 倉敷市公式観光サイト 倉敷観光WEB. 倉敷市観光情報発信協議会. 2023年4月9日閲覧。
- ^ “市の沿革 これまでの倉敷”. 倉敷市公式ホームページ. 倉敷市役所. 2023年4月15日閲覧。
- ^ a b c 真備町ふるさと歴史館パンフレット(吉備郡真備町時代の旧パンフレット)。
- ^ 真備町ガイドマップ - ウェイバックマシン(2004年3月13日アーカイブ分)
- ^ 指定管理者制度適用施設一覧表(倉敷市 2010年4月1日現在)(2011年3月7日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ 令和4年度指定管理者制度適用施設総合評価結果(倉敷市ホームページ)(2023年9月7日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ a b c 「巡・金田一耕助の小径」実行委員会『巡・金田一耕助の小径 ミステリーガイドブック』2021年3月31日増補改訂版 8ページ。
- ^ a b “「金田一耕助」が誕生した町・岡山県真備町~横溝文学の舞台へ”. ORICON NEWS. オリコン株式会社 (2019年7月11日). 2023年11月20日閲覧。
- ^ “1000人の金田一耕助 2011年”. 倉敷市公式観光サイト 倉敷観光WEB. 倉敷市観光情報発信協議会 (2011年10月25日). 2023年3月21日閲覧。
- ^ a b “真備町(現:倉敷市) 真備町ふるさと歴史館【字幕付き】”. デジタル岡山大百科. 岡山県立図書館. 2023年4月5日閲覧。
- ^ “川辺宿本陣絵図 川辺宿関係絵図”. デジタル岡山大百科. 岡山県立図書館. 2023年7月11日閲覧。
- ^ a b “高梁川流域キッズ 倉敷市真備ふるさと歴史館”. 高梁川流域キッズ. 高梁川流域連盟. 2023年3月15日閲覧。
- ^ “倉敷市真備ふるさと歴史館”. 倉敷市 文化産業局 商工労働部 商工課. 倉敷市. 2023年3月21日閲覧。
- ^ a b 小野克正、加藤満宏、中山 薫『真備町(倉敷市)歩けば』日本文教出版株式会社〈岡山文庫〉、2016年6月17日、128-130頁。「岡田を歩けば「真備ふるさと歴史館(岡田・上町)」 中山 薫」
- ^ 宝島社『別冊宝島 僕たちの好きな金田一耕助』 金田一耕助のふるさと 岡山をゆく 13ページ。
- ^ 「横溝正史疎開宅・真備ふるさと歴史館」パンフレットのINFORMATION。
- ^ a b “倉敷市真備ふるさと歴史館”. 倉敷市教育委員会 文化財保護課. 倉敷市. 2023年4月5日閲覧。
- ^ 『金田一耕助のモノローグ』(横溝正史著・角川文庫、1993年)8 - 25ページ。
- ^ 「横溝正史疎開宅・真備ふるさと歴史館」パンフレット。
- ^ “大池の弁天様”. 真備地区ガイドブック. 倉敷市役所. 2023年7月18日閲覧。
- ^ “倉敷市立岡田小学校”. 倉敷市立岡田小学校. 2024年4月12日閲覧。
- ^ “倉敷市立岡田小学校”. 倉敷市立岡田小学校. 2024年4月12日閲覧。 “学校の特色”