穂井田村

日本の岡山県吉備郡にあった村

穂井田村(ほいだそん)は、かつて岡山県吉備郡にあったである。1956年昭和31年)4月1日玉島市および吉備郡真備町に編入され廃止となった。現在は倉敷市玉島地域穂井田地区および真備地区の一部にあたる。

ほいだそん
穂井田村
廃止日 1956年(昭和31年)4月1日
廃止理由 編入合併
穂井田村(陶・服部南部) → 玉島市
穂井田村(服部北部) → 真備町
現在の自治体 倉敷市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
吉備郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 玉島市小田郡矢掛町、吉備郡真備町、船穂町
穂井田村役場
所在地 岡山県吉備郡穂井田村大字陶
座標 北緯34度37分7.1秒 東経133度40分24.7秒 / 北緯34.618639度 東経133.673528度 / 34.618639; 133.673528 (穂井田村)
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歴史

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古代の下道郡穂北郷(穂太郷)にあたるといわれる。陶は、漢人系帰化人の住み着いた土地とされる。陶集落には、陶器(須恵器)や瓦などを製造したとされる陶器の古窯跡が残り『総解文集』の中で「下道群 穂井田郷 唐竈十口 桜井里次」と見える。「陶」と地名もこれに由来されると言われる。現在も瓦が産業として残っている。服部は、呉織(くれはとり)が土着した土地とされ、地名はその名残といわれる[1]

江戸時代は、陶村・服部村とも岡田藩領であった[1]

1889年(明治22年)6月1日に町村制施行により陶村と服部村が合併、古代郷にちなみ穂井田村を新設し、陶・服部がそれぞれ穂井田村の大字となった。村役場は大字陶に設置された。1900年(明治33年)には郡の合併により吉備郡に属する。1956年(昭和31年)4月1日には、合併問題により穂井田村南部(陶全域と服部南部、現在の玉島服部)が玉島市に編入、穂井田村北部(服部北部、現在の真備町服部)が真備町へ編入した。玉島側は地区名として穂井田を継承するが、真備側は同町呉妹地区の一部となった。その後、1967年(昭和42年)に新たな倉敷市が新設され現在に至る。2004年に真備町が倉敷市に編入合併となったため、現在再び旧穂井田村域が同じ自治体の管轄となった。ただし支所管轄が玉島と真備で異なり、同じ地区としては扱われていない。

地区の面積は14.498平方キロメートル[2]

穂北郷

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穂北郷(ほいたごう、ほいたのごう)は、古代備中国下道郡にあった郷である。『和名抄』(刊本)に記載がある。高山寺本では、同じよみで穂太郷と表記されている[1]

現在の倉敷市玉島穂井田地区および同市真備町服部に相当する[1]

穂太庄

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穂太庄(ほいたしょう、ほいたのしょう)は、中世に備中国下道郡にあた荘園である。 上記穂北郷が、紀伊国熊野神社領となり、荘園化したものである[1]

1243年(寛元元年)の『将軍家政所下文』(『新編相模風土記』所蔵)には、紀州熊野山社の一所領としての記載が初見[1]

1333年(元弘3年、正慶2年)には将軍宮(守邦親王)によって京都に日蓮宗を布教した日像上人の庵(妙顕寺)に寄進されている[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』(1979年)山陽新聞社
  2. ^ 巌津政右衛門 『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社

参考文献

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  • 巌津政右衛門『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社
  • 岡山県大百科事典編集委員会『岡山地名事典』(1979年)山陽新聞社
  • 渡辺光・中野尊正・山口恵一郎・式正英『日本地名大辞典2 中国・四国』(1968年)朝倉書店
  • 下中直也『日本地名大系第三四巻 岡山県の地名』(1988年)平凡社
  • 黒田茂夫『県別マップル33 岡山県広域・詳細道路地図』(2010年)昭文社

関連項目

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