丸岡城 (丹波国)
丸岡城(まるおかじょう)は、京都府亀岡市余部町古城[1](旧・丹波国桑田郡[2])にあった中世の日本の城。余部城とも呼ばれる。
丸岡城 (京都府) | |
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西岸寺の山門と丸岡城跡の石碑 | |
別名 | 余部城、過部城、岡山城、円岡城[1] |
城郭構造 | 平城[1] |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 明智光秀 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 本丸、堀、空堀[1] |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯35度01分07.4秒 東経135度34分18.4秒 / 北緯35.018722度 東経135.571778度座標: 北緯35度01分07.4秒 東経135度34分18.4秒 / 北緯35.018722度 東経135.571778度 |
地図 |
概要
編集丸岡城は現在の西願寺付近の台地の上にあった城で、今も「古城」「古城浦」「政所」などの小字が残る[3]。
かつては城のすぐ北を大堰川の旧河道、南を曽我谷川の旧河道が走り、東側もその二つの川をつないで、三方向が天然の堀で囲まれていた[1]。また、台地の続く西側には2本の横堀が設けられていた[3]。
沿革
編集築城された時期はわかっていない[1]。
応仁・文明の乱の際、丸岡城は東軍の拠点となっていた[4]。文明元年(1469年)6月、東軍の野田泰忠や安富又次郎が「余部之城」へ入っており[5]、同年10月、丹波に侵攻する西軍を防ぐため、二人は再び「余部之城」に入っている[6]。
戦国時代後期には、波多野元秀が長尾大和守に対し、「余部」で敵と戦い、「入城」したことを賞している[7][8]。この時、丸岡城が平城だったためか「無要害」と記している[9]。
天正3年(1575年)6月、織田信長の命を受けて、明智光秀が丹波攻略を開始した[10]。光秀は後に亀山城を築城し、天正6年(1578年)にはそこを前線基地としているが、当初は余部を拠点としていた[11]。天正3年(1575年)8月の小畠永明宛ての書状の中で、光秀は「馬路・余部在城之衆」に指示を伝えたことを記しており[12]、「在城」という言葉から丸岡城が使用されていたことがわかる[3]。また、年未詳の書状において、光秀は永明に余部の近くに来るよう命じ、別の書状では、国衆から取った人質を余部に連れてくるよう永明に伝えている[4]。預かった人質が居住できる環境があることから、丸岡城は光秀にとっての拠点的城郭だったと考えられる[13]。
『亀山由来記』によると、丸岡城の遺構はしばらく残り、承応3年(1654年)になって丸岡城の天守・土蔵を取り壊し、堀を埋めたという[1]。
アクセス
編集鉄道
編集- 亀岡駅より徒歩で約15分
その他
編集御城印
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g 平井聖; 村井益男; 村田修三 編『日本城郭大系 第11巻 京都・滋賀・福井』新人物往来社、1980年、86–88頁。全国書誌番号:80039409。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年、85頁。全国書誌番号:82036781。
- ^ a b c 福島 2020, p. 85.
- ^ a b 福島 2015, p. 252; 福島 2020, p. 85.
- ^ 東京帝国大学文科大学史料編纂掛 編『大日本史料 第八編之二』東京帝国大学、1915年、836–837頁。全国書誌番号:73016133 。
- ^ 東京帝国大学文科大学史料編纂掛 編『大日本史料 第八編之三』東京帝国大学、1916年、1頁。全国書誌番号:73016133 。
- ^ 年未詳5月4日付長尾大和守宛波多野元秀書状(「雨森善四郎氏所蔵文書」)。
- ^ 八上城研究会 編『戦国・織豊期城郭論―丹波国八上城遺跡群に関する総合研究―』和泉書院〈日本史研究叢刊12〉、2000年、78頁。ISBN 4-87088-996-X。
- ^ 福島 2015, p. 252.
- ^ 福島 2019, pp. 67, 74.
- ^ 福島 2015, pp. 252, 256; 福島 2020, pp. 85–88.
- ^ 福島 2015, p. 250.
- ^ 福島 2020, pp. 85–86.
- ^ “余部丸岡城跡”. 森の京都. 御城印めぐり. 一般社団法人 森の京都地域振興社. 2023年6月23日閲覧。
参考文献
編集- 福島克彦 著「明智光秀と小畠永明―織田権力期における丹波の土豪―」、藤田達生; 福島克彦 編『明智光秀』八木書店〈史料で読む戦国史3〉、2015年。ISBN 978-4-8406-2210-3。
- 福島克彦『明智光秀』中央公論新社〈中公新書〉、2020年。ISBN 978-4-12-102622-4。
関連項目
編集外部リンク
編集- 余部丸岡城跡(西岸寺) - 亀岡市公式ホームページ