佐賀県立鹿島高等学校

佐賀県鹿島市にある公立の高等学校

佐賀県立鹿島高等学校(さがけんりつ かしまこうとうがっこう, Saga Prefectural Kashima High School)は佐賀県鹿島市大字高津原に所在する公立高等学校。 同窓会名は「鹿城(ろくじょう)会」[1][注釈 1]

佐賀県立鹿島高等学校

赤門学舎
校門
大手門学舎
北緯33度6分15.9秒 東経130度5分32.1秒 / 北緯33.104417度 東経130.092250度 / 33.104417; 130.092250座標: 北緯33度6分15.9秒 東経130度5分32.1秒 / 北緯33.104417度 東経130.092250度 / 33.104417; 130.092250
国公私立の別 公立学校
設置者 佐賀県の旗 佐賀県
学区 西部学区(普通科)
佐賀県全域(商業科、食品調理科)
併合学校 佐賀県立鹿島高等学校
佐賀県立鹿島実業高等学校
設立年月日 2018年平成30年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
商業科
食品調理科
学期 3学期制
学校コード D141290000296 ウィキデータを編集
高校コード 41111G
所在地 849-1311
赤門学舎:佐賀県鹿島市大字高津原462
大手門学舎:佐賀県鹿島市大字高津原539
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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地図
A:赤門学舎
B:大手門学舎

概要

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歴史
1896年明治29年)設立の佐賀県尋常中学校鹿島分校(旧制、後の第二中学校、鹿島中学校)を前身とし、2006年(平成18年)に創立110周年を迎えた。2018年(平成30年)に佐賀県立鹿島実業高等学校と統合し、新たに開校した。
校地
鹿島鍋島藩鹿島城跡で、その城門(赤門)は現在も校門として使用されている[1]旭ヶ岡公園に隣接する。統合後は上記の校舎を赤門学舎、隣接する鹿島実業校舎を大手門学舎の2校舎制とする。
設置課程・学科
全日制課程 3学科
  • 普通科(赤門学舎)
  • 商業科(大手門学舎)
  • 食品調理科(大手門学舎)
校章
人間国宝の鈴田滋人によるデザインで、の花弁をモチーフにしている。
校歌
1955年(昭和30年)に鹿島実業が分離する前に使われた校歌が使われている。作詞が下村湖人、作曲は名倉晰。
赤門学
鹿島高等学校が展開する教育で、「赤門(=校門・鹿島高校)で学ぶ」「赤門(先輩)に学ぶ」を意味する[広報 1]
同窓会
「鹿城会」と称し[1]、支部を福岡県、長崎県、武雄市東京都関西塩田町(塩田のみ赤門会)に置く。

沿革

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佐賀県立鹿島高等学校

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前史

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正史

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旧制中学校
  • 1896年(明治29年)4月 - 「佐賀県尋常中学校[注釈 3]鹿島分校」として開校[2]。これをもって創立年としている。子爵鍋島直彬から旧「鎔造館」建物器具一式を寄贈される。
  • 1897年(明治30年)5月 - 同窓会「鹿城会」が発足。
  • 1898年(明治31年)4月 - 「佐賀県第二尋常中学校」として分離・独立。旧鹿島城内に校舎を設置し、創立式を挙行。
  • 1899年(明治32年)4月 - 「佐賀県立第二中学校」と改称。
  • 1901年(明治34年)6月 - 「佐賀県立鹿島中学校」と改称[2]
高等女学校
商農学校
  • 1926年(大正15年)3月 - 「鹿島立教公民学校」が開校(のち「鹿島立教実業学校」と改称)。
  • 1947年昭和22年)3月 - 移管により、「佐賀県立鹿島農商学校」と改称。
新制高等学校
佐賀県立鹿島高等学校(旧校)
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月 - 学制改革に伴い、鹿島中学校・鹿島高等女学校・鹿島農商学校の県立3校が「佐賀県立鹿島高等学校」(現校名)に統合された[2]。下記の三部制に改組された。
      • 第一部 : 男子普通科(旧・鹿島中学校)
      • 第二部 : 女子普通科・家庭技芸科(旧・鹿島高等女学校)
      • 第三部 : 農業科・商業科(旧・鹿島農商学校)
    • 8月 - 野球部が甲子園大会に初出場。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 部制を廃止し、男女共学の総合校となる。普通科・農業科・商業科・家庭技芸科の全日制4学科、塩田分校(定時制 家庭科)を設置。
  • 1953年(昭和28年)4月 - 家庭科課程および嬉野分校(定時制普通科・商業科)を設置。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 農業科・商業科・家庭課程と塩田分校が、佐賀県立鹿島実業高等学校として分離・独立[2]。これに伴い、鹿島高等学校は現在の体制(普通科校)となる。
  • 1956年(昭和31年)4月1日 - 嬉野分校が佐賀県立嬉野高等学校(定時制)として分離・独立。創立60周年記念として校歌を制定。
  • 1960年(昭和35年)8月 - 野球部が甲子園大会に2度目の出場。
  • 1965年(昭和40年)- 旧制鹿島中学校第1回卒業生田中鐵三郎より、校地に隣接する生家と600坪の土地が寄贈される。
  • 1966年(昭和41年)
    • この年 - 新校舎が完成。
    • 8月1日 - 山口喜久一郎により校旗が寄贈される。
    • 10月7日 - 田中鐵三郎より寄贈された生家を「田中記念館六洲荘」[広報 2]と名付け、記念碑除幕式を挙行。
  • 1977年(昭和52年) - 田中記念館六洲荘を財団法人化する。
  • 1979年(昭和54年)9月9日 - 同窓会館が完成。
  • 1986年(昭和61年)
    • 3月10日 - 柔剣道場を新築。
    • 9月13日 - 創立90周年記念として校訓「至誠・自立・創造」を制定。
  • 1995年平成7年)4月1日 - 理数コースを設置。
  • 2012年(平成24年)4月 - 理数コースの募集を停止。
  • 2014年(平成26年)3月31日 - 理数コースを廃止。
  • 2020年3月 - 1948年開校の佐賀県立鹿島高等学校が閉校。

佐賀県立鹿島高等学校

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  • 2018年(平成30年)4月1日 - 旧鹿島高校は赤門学舎、旧鹿島実業高校は大手門学舎として統合再編成し佐賀県立鹿島高等学校として新たに開校[2]

学校行事

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1学期
  • 4月 - 始業式・着任式、入学式、新入生オリエンテーション(合宿)、開校記念式典、開校記念遠足(目的地は祐徳稲荷神社和泉式部公園)
  • 5月 - 1学期中間考査
  • 6月 - 県高総体
  • 7月 - 1学期期末考査、クラスマッチ、三者面談、夏季特課(補習)
  • 8月 - 夏季休業
2学期
  • 9月 - 赤門祭(1日目に文化祭、2日目に体育祭を行う)
  • 10月 - 県総合文化祭、2学期中間考査、芸術鑑賞会
  • 11月 - クラス読書会、牡丹餅[注釈 4]
  • 12月 - 2学期期末考査、クラスマッチ、冬季特課(補習)
3学期

部活動

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文化部
体育部

著名な出身者

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アクセス

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最寄りの駅
JR九州長崎本線肥前鹿島駅
最寄りのバス停
祐徳バス 大野線・能古見線(コミュニティバスも含む[5])「鹿島小学校前」バス停下車(両学舎)
最寄りの道路
国道207号、鹿島バイパス(国道207号)、佐賀県道309号山浦肥前鹿島停車場線

脚注

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注釈

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  1. ^ 佐賀県内には他に、「栄城」(佐賀県立佐賀西高等学校)・「鶴城」(佐賀県立唐津東高等学校)・「黄城」(佐賀県立小城高等学校)など昔の城にちなんだ別名を持つ高等学校がある[要出典]
  2. ^ 現佐賀県がかつて長崎県であったことに関しては、佐賀県#中世・近世・近代を参照。
  3. ^ 佐賀県立佐賀西高等学校佐賀県立佐賀東高等学校佐賀県立佐賀北高等学校の源流[要出典]
  4. ^ 旧鹿島中学校の生徒らが、1904年に旧鹿島藩主鍋島直彬から牡丹餅をふるまわれ激励を受けたことに始まる、鹿島高等学校と鹿島実業高等学校の伝統行事[3]

出典

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  1. ^ a b c 菅原普 (2015年9月16日). “鹿島高の大クス、惜しまれ伐採へ 「赤門」保存へ苦渋の選択”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 佐賀全県版 
  2. ^ a b c d e f g 学校沿革”. 佐賀県立鹿島高等学校. 2019年11月8日閲覧。
  3. ^ 牡丹餅会、健闘誓う 鹿島高と鹿島実高3年生」『佐賀新聞』2019年10月31日。2019年11月8日閲覧。
  4. ^ 歴代会長一覧東京鹿城会
  5. ^ 鹿島市内循環バスの路線変更・時刻表改正について(PDF) - 鹿島市ウェブサイト

広報資料・プレスリリースなど一次資料

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関連項目

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外部リンク

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