佐久間信仍
日本の江戸時代中期の武士。江戸幕府旗本佐久間信房四男で、同格佐久間信就養子。信仍系佐久間氏(信晴系佐久間氏分家)初代当主。御書院番を勤める
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄4年(1691年) |
死没 | 寛延4年4月4日(1751年4月29日) |
別名 | 通称:長左衛門 |
戒名 | 是道 |
墓所 | 東京都新宿区四谷の全勝寺 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
氏族 | 佐久間氏 |
父母 |
父:佐久間信房、母:渥美九郎兵衛友勝の娘 養父:佐久間信就 |
兄弟 |
信精、渡辺続、房元、信仍、信包、信秋、 安右衛門 養兄弟:信詮 |
妻 | 細井喜三郎正雄の娘 |
子 | 信秋、信之、松波直庸、佐久間信喜室 |
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享保5年(1720年)5月23日、義兄・佐久間信詮の家督相続時に上野国邑楽郡(おおら)、山田郡において400石の分知を受け、小普請となった。
寛延4年(1751年)4月4日死去。享年61。