佐久間房元
日本の江戸時代中期~後期の武士。江戸幕府旗本佐久間信房の子で、甲府佐久間氏(信重系佐久間氏分家)初代当主。甲府勤番士を勤める
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄2年(1689年) |
死没 | 宝暦8年3月4日(1758年4月11日) |
改名 | 房元→常参(号) |
別名 | 通称:五郎右衛門 |
戒名 | 日如 |
墓所 | 甲斐国古府中要法寺 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
氏族 | 佐久間氏 |
父母 | 父:佐久間信房、母:渥美九郎兵衛友勝の娘 |
兄弟 |
信精、渡辺続、房元、信仍、信包、信秋、 安右衛門 |
妻 | 木村氏の娘 |
子 | 盛親 |
享保7年(1722年)12月25日、父・佐久間信房の遺領から武蔵国児玉郡、横見郡のうちから200石の分知を受け、小普請となった。
享保9年(1724年)8月13日、甲府勤番士となり、甲府に移住した。寛延元年(1748年)8月14日、家督を嫡男の盛親に譲り、隠居。隠居後は常参と号した。
宝暦8年(1758年)3月4日、死去。享年70。