佐久間信喜
日本の江戸時代中期~後期の武士。江戸幕府旗本佐久間信詮の子で、同格佐久間信秋養子。信晴系佐久間氏9代当主。西城御小姓組・進物役・西城御書院番を歴任
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 享保18年(1733年) |
死没 | 寛政元年9月20日(1789年11月7日) |
別名 | 通称:代三郎、政之進、主膳、宇右衛門 |
戒名 | 勇法 |
墓所 | 東京都新宿区四谷の全勝寺 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
氏族 | 佐久間氏 |
父母 |
父:佐久間信詮 養父:佐久間信秋 |
兄弟 |
佐久間信秋室、男子、座光寺為忠、信喜 養兄弟:佐久間信秋、信之、松波直庸 |
妻 | 佐久間信仍の娘 |
子 |
佐久間信邦室 養子:信邦 |
享保20年(1735年)12月2日、わずか3歳で養父・佐久間信秋から家督(1300石)を継いだ。寛延2年(1749年)5月9日、西城御小姓組に列せられた。鷹狩に随従し、鳥を射落としたことにより時服金を賜った。宝暦2年(1752年)11月21日から同5年(1755年)12月28日まで、進物役を勤めた。
宝暦9年(1759年)5月11日、西城御書院番の番士となり、安永5年(1776年)9月30日に辞するまで勤めた。
寛政元年(1789年)9月20日、死去。享年57。