伊達宗房
江戸時代前期の人物。田手家当主、宮床伊達家初代。伊達忠宗の八男
伊達 宗房(だて むねふさ)は、江戸時代前期の陸奥国仙台藩一門第七席・宮床伊達家初代当主。仙台藩5代藩主伊達吉村の実父である。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 正保3年8月5日(1646年9月14日) |
死没 | 貞享3年1月13日(1686年2月5日) |
改名 | 伊達卯之助(幼名)、田手宗房、伊達宗房 |
別名 | 肥前 |
戒名 | 覚照寺殿悟山了実大居士 |
墓所 | 宮城県黒川郡大和町の覚照寺 |
主君 | 伊達忠宗→綱宗→綱村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 伊達氏→田手氏→宮床伊達家 |
父母 |
伊達忠宗、小笹 田手高実 |
兄弟 |
鍋姫、虎千代丸、光宗、田村宗良、 五郎吉、宗倫、綱宗、宗規、宗房、 飯坂宗章 |
妻 |
法林院 片倉松子 |
子 | 吉村、村興 |
生涯
編集正保3年(1646年)8月5日、仙台藩2代藩主・伊達忠宗の八男として誕生。母は山戸勝重の娘・小笹。幼名は卯之助。
慶安2年(1649年)、前年に死去した一族・田手高実の婿養子に迎えられて田手家を継ぎ、江刺郡上口内領主となる。万治2年(1659年)8月28日、高実の実子・貞実の元服に合わせて田手家の名跡を貞実に譲る。別家を興すことになった宗房には伊達姓が与えられ、一門の家格に列して磐井郡大原に知行替えとなった。翌万治3年(1660年)に黒川郡宮床に所領を拝領すると、寛文6年(1666年)には同地に居館を構え、宗房の子孫は柴田郡川崎城に居館を移した一時期を除き、幕末に至るまで宮床を本拠とした。このため宗房の家系を宮床伊達家と称する。
寛文7年(1667年)6月2日、正室・法林院が死去する。宗房と法林院の間には子供がおらず、義弟・貞実も寛文5年(1665年)6月16日に跡継ぎを残さず死去しており、このため田手家宗家の血統は断絶した。延宝4年(1676年)6月25日、片倉景長の娘・松子を後妻に貰い受ける。松子との間には男子2人が生まれた。
貞享3年(1686年)1月13日死去。享年41。長男・助三郎(村房)が家督を相続した。この助三郎がのちの仙台藩5代藩主・伊達吉村である。
系譜
編集参考文献
編集- 『大和町史』下巻(宮城県黒川郡大和町、1977年)
- 平成『仙台市史』通史編4〔近世2〕(宮城県仙台市、2003年)
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