江刺郡
日本の岩手県(陸奥国・陸中国)にあった郡
郡域
編集歴史
編集近代以前の沿革
編集- 802年(延暦21年)坂上田村麻呂は造胆沢城使として、胆沢城の造営を開始、同時に周辺地域の支配体制を確立。804年(延暦23年)に江刺・胆沢・磐井の「胆沢三郡」が成立した。10世紀、磐井郡は国府多賀城領に編入され、岩手・志和・稗抜・和賀・江刺・伊沢の「奥六郡」が成立した[1]。
近代以降の沿革
編集幕末時点では陸奥国に所属し、全域が仙台藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点に存在した村は以下の通り。(41村)
村名 | 所属代官区 | 所轄郡奉行 |
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片岡村・一関村・二関村・三関村・浅井村・石関村・石山村・伊手村・鶯沢村・歌書村・上門岡村・下門岡村・鴨沢村・軽石村・上口内村・下口内村・倉沢村・栗生沢村・黒石村・黒田助村・小池村・菅生村・高寺村・大田代村・小田代村・田茂山村・田谷村・次丸村・土谷村・角掛村・野手崎村・羽黒堂村・枛木田村・原体村・人首村・二子町村・増沢村・水押村・三照村・餅田村・横瀬村 | 岩谷堂代官所 (片岡村) |
奥郡奉行 |
- 明治元年
- 明治2年8月18日(1869年9月23日) - 花巻県が江刺県に編入される。
- 明治4年
- 明治8年(1875年)10月17日 - 以下の各村の統合が行われる。(15村)
- 片岡村 ← 片岡村、増沢村、餅田村
- 梁川村 ← 野手崎村、菅生村、栗生沢村
- 広瀬村 ← 一関村、軽石村、鴨沢村、歌書村
- 稲瀬村 ← 上門岡村、下門岡村、石関村、二関村、三関村
- 福岡村 ← 上口内村、下口内村、小池村、水押村、枛木田村
- 愛宕村 ← 高寺村、田谷村、二子町村
- 羽田村 ← 羽黒堂村、田茂山村、黒田助村、鶯沢村
- 田代村 ← 大田代村、小田代村
- 石原村 ← 石山村、原体村、土谷村
- 照沢村 ← 三照村、倉沢村
- 玉里村 ← 次丸村、角掛村
- 藤里村 ← 浅井村、横瀬村
- 人首村は米里村に改称。
- 明治9年(1876年)4月18日 - 第2次府県統合により岩手県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)11月26日 - 郡区町村編制法の岩手県での施行により、行政区画としての江刺郡が発足。「胆沢江刺郡役所」が胆沢郡塩竈村に設置され、同郡とともに管轄。
町村制以降の沿革
編集- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は全域が現・奥州市。(1町12村)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。郡役所が岩谷堂町に設置。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「胆江地方事務所」が胆沢郡水沢町に設置され、同郡とともに管轄。
- 昭和29年(1954年)4月1日(1町9村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和33年(1958年)11月3日 - 江刺町が市制施行して江刺市となる。同日江刺郡消滅。岩手県内では明治29年(1896年)の郡の再編以来、初の郡消滅となった。
変遷表
編集自治体の変遷
藩政期 | 明治8年 | 明治22年 4月1日 町村制施行 |
明治22年 - 大正15年 | 昭和元年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
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片岡村 | 片岡村 | 岩谷堂町 | 岩谷堂町 | 昭和30年2月10日 江刺町 |
昭和33年11月3日 市制 江刺市 |
平成18年2月20日 奥州市 |
奥州市 | |
増沢村 | ||||||||
餅田村 | ||||||||
歌書村 | 広瀬村 | 広瀬村 | 広瀬村 | |||||
鴨沢村 | ||||||||
軽石村 | ||||||||
一関村 | ||||||||
二関村 | 稲瀬村 | |||||||
三関村 | ||||||||
上門岡村 | 一部 | 稲瀬村 | 稲瀬村 | |||||
一部 | 昭和30年7月10日 北上市に編入 |
平成3年4月1日 北上市 |
北上市 | |||||
下門岡村 | 一部 | |||||||
一部 | 昭和33年11月3日 市制 江刺市 |
平成18年2月20日 奥州市 |
奥州市 | |||||
石関村 | ||||||||
三照村 | 照沢村 | |||||||
倉沢村 | ||||||||
伊手村 | 伊手村 | 伊手村 | 伊手村 | |||||
高寺村 | 愛宕村 | 愛宕村 | 愛宕村 | |||||
田谷村 | ||||||||
二子町村 | ||||||||
次丸村 | 玉里村 | 玉里村 | 玉里村 | |||||
角掛村 | ||||||||
大田代村 | 田代村 | 田原村 | 田原村 | |||||
小田代村 | ||||||||
石山村 | 石原村 | |||||||
原体村 | ||||||||
土谷村 | ||||||||
浅井村 | 藤里村 | 藤里村 | 藤里村 | |||||
横瀬村 | ||||||||
野手崎村 | 梁川村 | 梁川村 | 梁川村 | |||||
栗生沢村 | ||||||||
菅生村 | ||||||||
人首村 | 米里村 | 米里村 | 米里村 | |||||
黒石村 | 黒石村 | 黒石村 | 黒石村 | 昭和29年4月1日 水沢市 | ||||
羽黒堂村 | 羽田村 | 羽田村 | 羽田村 | |||||
田茂山村 | ||||||||
鶯沢村 | ||||||||
黒田助村 | ||||||||
上口内村 | 福岡村 | 福岡村 | 福岡村 | 昭和29年4月1日 北上市 |
平成3年4月1日 北上市 |
北上市 | ||
下口内村 | ||||||||
枛木田村 | ||||||||
小池村 | ||||||||
水押村 |
行政
編集- 胆沢・江刺郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 出納貞武 | 明治12年(1879年)1月28日 | 明治13年(1880年)8月21日 | |
2 | 直江兼重 | 明治13年(1880年)10月23日 | 明治14年(1881年)10月6日 | |
3 | 板垣四郎 | 明治14年(1881年)10月7日 | 明治18年(1885年)12月26日 | |
4 | 下田栄光 | 明治19年(1886年)8月25日 | 明治27年(1894年)3月21日 | |
5 | 鈴木愿治 | 明治27年(1894年)3月22日 | 明治30年(1897年)3月31日 | 廃官 胆沢郡長へ転任 |
- 江刺郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 板垣征徳 | 明治30年(1897年)4月1日 | 明治33年(1900年)4月21日 | |
2 | 石塚昇 | 明治33年(1900年)4月21日 | 明治34年(1901年)8月21日 | |
3 | 小野茂理 | 明治34年(1901年)8月30日 | 明治35年(1902年)4月22日 | |
4 | 加賀美安之助 | 明治35年(1902年)4月22日 | 明治37年(1904年)1月29日 | |
5 | 沢田専吉 | 明治37年(1904年)2月17日 | 明治39年(1906年)9月29日 | |
6 | 関定孝 | 明治39年(1906年)9月29日 | 明治41年(1908年)1月24日 | |
7 | 岩崎亀太郎 | 明治41年(1908年)1月24日 | 明治43年(1910年)10月20日 | |
8 | 斎藤行三 | 明治43年(1910年)10月20日 | 大正元年(1912年)12月10日 | |
9 | 大塚順吉 | 大正元年(1912年)12月10日 | 大正3年(1924年)2月12日 | |
10 | 石川発盛 | 大正3年(1924年)2月12日 | 大正6年(1917年)10月30日 | |
11 | 平野喜平 | 大正6年(1917年)10月30日 | 大正8年(1919年)11月17日 | |
12 | 宮川恭一 | 大正8年(1919年)11月17日 | 大正9年(1920年)12月4日 | |
13 | 笹井初之進 | 大正9年(1920年)12月4日 | 大正12年(1923年)2月23日 | |
14 | 坪松唯三郎 | 大正12年(1923年)2月23日 | 大正13年(1924年)12月16日 | 任期途中、郡会廃止 |
15 | 黒沢喜一郎 | 大正13年(1924年)12月16日 | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
編集参考文献
編集この節で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 3 岩手県、角川書店、1985年2月7日。ISBN 4040010302。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 江刺市史(岩手県江刺市)
- 第2巻(1985年)
- 第3巻(1987年)