河原町線(かわらまちせん)は、下鴨本通河原町通及び塩小路通に敷設されていた京都市電軌道路線

河原町線
基本情報
日本の旗 日本
所在地 京都市
路線網 京都市電
起点 洛北高校前電停
終点 京都駅前電停
停留所数 19箇所
開業 1924年4月9日
廃止 1978年10月1日
運営者 京都市交通局
路線諸元
路線距離 6.814 km
軌間 1,435 mm
線路数 複線
電化方式 直流600V 架空電車線方式
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河原町線
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0.000 急 洛北高校前 北大路線
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0.264 | 一本松
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0.523 | 下鴨神社前
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0.806 急 糺ノ森
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1.161 | 葵橋東詰
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賀茂川
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1.466 | 葵橋西詰
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1.691 急 河原町今出川 今出川線
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2.341 急 府立病院前
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2.566 急 荒神口
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2.979 急 河原町丸太町 丸太町線
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3.460 急 河原町二条 中立売線
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3.904 急 河原町三条
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4.509 急 四条河原町新京極 四条線
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阪急京都本線 河原町駅
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5.068 | 河原町松原
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5.417 急 河原町五条
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5.873 | 河原町正面
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6.214 急 七条河原町 七条線
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高瀬川
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国鉄東海道本線
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国鉄東海道新幹線
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国鉄奈良線
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6.577 急 塩小路高倉 高倉線伏見線
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(塩小路東洞院) 東洞院線
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6.814 急 京都駅前
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烏丸線
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堀川線
STR hSTRl hKRZho
近鉄京都線
ABZg3
国鉄山陰本線
STR
国鉄東海道本線

[都市計畫軌道延長事業]の一環である「市街狹軌線付替え軌隔擴張」として大正終期から昭和初期にかけて施行された。また[都市計畫軌道延長第二期事業(外劃線)]では通称塩小路線と通称下鴨線が建設された。

全区間が併用軌道。路線は京都駅前と市北部の下鴨を結んでおり、途中、市街随一の繁華街を経由していた。

1977年(昭和52年)に、東山線七条線系統が乗り入れることになった七条河原町-京都駅前を残して路線の大部分が廃止された[1]。残った区間は1年後の京都市電全廃時に廃止となった。

沿革

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  • 1923年(大正12年)5月26日 市会が「第七十七號議案」を議決し、河原町線路線決定
  • 1924年(大正13年)4月9日 河原町今出川-河原町丸太町開業
  • 1926年(大正15年/昭和元年)
    • 7月8日 河原町丸太町-河原町四条(後に四条河原町新京極と改称)開業
    • 12月15日 河原町四条-河原町五条開業
  • 1927年(昭和2年)4月5日 河原町五条-(平居町)開業/木屋町線(平居町)-七条内浜(後に七条河原町と改称)軌隔拡張し、河原町線編入
  • 1929年(昭和4年)1月16日 七条内浜-塩小路(後に塩小路高倉と改称)開業/伏見線塩小路-京都駅前河原町線編入
  • 1940年(昭和15年)12月2日 急行運転開始(日曜祝祭日を除く午前6時-午前9時/午後4時-午後7時)
  • 1943年(昭和18年)
    • 2月21日 急行運転強化(日曜祝祭日を含む毎日午前6時-午前10時/午後4時-午後8時)
    • 11月1日 終日急行運転実施
  • 1954年(昭和29年)9月1日 終日急行運転終了
  • 1956年(昭和31年)10月12日 洛北高校前-河原町今出川開業[2] [河原町線全線開業]
  • 1962年(昭和37年)
    • 3月27日 急行運転開始(日曜祝日を除く午前7時-午前9時)
    • 6月1日 停留所改称(「七条内浜」→「七条河原町」)
  • 1963年(昭和38年)6月20日 停留所統廃合(「河原町蛸薬師」「河原町仏光寺」→廃止、「四条河原町」「新京極(四条線)」→統合、「四条河原町新京極」)
  • 1964年(昭和39年)6月1日 ワンマンカー運行開始(当初3週間は添乗者が付き、一人乗務は6月22日実施)
  • 1965年(昭和40年)12月1日 自動車の併用軌道乗入全面開放
  • 1975年(昭和50年)3月30日 全車ワンマンカー化実施
  • 1977年(昭和52年)
    • 9月30日 「さようなら 河原町・七条・烏丸線」電車運行
    • 10月1日 洛北高校前-七条河原町廃止し、河原町線系統を市バスに転換
  • 1978年(昭和53年)
    • 9月30日 「さようなら 京都市電」電車運行
    • 10月1日 七条河原町-京都駅前廃止 [河原町線全線廃止]

電停一覧

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停留所/交叉する通り(接続、距離、急行停車駅は路線図参照)

延長構想

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1953年に交通局が発表した事業基本計画では、洛北高校前よりさらに北上してトンネルを掘削の上、宝が池公園までの延長案が記載されていた[3]

特記事項

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  • 祇園祭山鉾巡行の際、巡路に当たる区間は運休し、その前後で折り返し運転を行っていた。また、同区間では巡行に配慮して片持ち式の架線柱が用いられていた。

参考文献

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  • 『京都市營電氣事業沿革誌』京都市電氣局、京都、1933年。 
  • 京都市総務部庶務課 編『京都市政史』 上巻、京都市役所、京都、1941年。 
  • 京都府立総合資料館 編『京都府百年の年表』 7 建設・交通・通信編、京都府、京都、1970年。 
  • 京交史編纂委員会 編『京交三十年史』京都交通労働組合、京都、1977年。 
  • 京都市交通局総務課 編『さよなら京都市電』京都市交通局、京都、1978年。 
  • 京都市 編『京都の歴史』 10 年表・事典、京都市史編纂所、京都、1980年。 
  • 高橋 裕『京都の電車』トンボ出版、大阪、1998年。 
  • 沖中, 忠順 著、福田静次 編『京都市電が走った街今昔:古都の路面電車 定点対比』JTB、東京、2000年。ISBN 4-533-03421-7 

脚注

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  1. ^ それまでは七条烏丸から烏丸線を経由して京都駅前に入っていたが、市営地下鉄建設に伴って烏丸線が廃止されたことに伴い、ルートを変更した。
  2. ^ 沖中 (2000), p. 168, 「年表京都市電 系統・路線の変遷(作成:山本清治)」.
  3. ^ 高山礼三「京都市電概史」『鉄道ピクトリアル』1978年12月臨時増刊号(No.356)、p.80