久居駐屯地

三重県にある陸上自衛隊の駐屯地

久居駐屯地(ひさいちゅうとんち、JGSDF Camp Hisai)は、三重県津市久居新町975に所在し、第33普通科連隊等が駐屯する陸上自衛隊駐屯地である。

久居駐屯地

久居駐屯地(1983年度、国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
位置
地図
所在地 三重県津市久居新町975
座標 北緯34度40分29.7秒 東経136度28分48.2秒 / 北緯34.674917度 東経136.480056度 / 34.674917; 136.480056座標: 北緯34度40分29.7秒 東経136度28分48.2秒 / 北緯34.674917度 東経136.480056度 / 34.674917; 136.480056
概要
駐屯地司令 第33普通科連隊長 兼務
主要部隊 第33普通科連隊
ほか

開設年 1952年
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概要

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駐屯地南側の県道を越えた向かい側に、C地区と称される訓練場が、また津市一志地域内に屋外射撃場がある。

最寄の演習場は、久居(風早)演習場。駐屯地司令は第33普通科連隊長が兼務。

沿革

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警察予備隊久居駐屯地

保安隊久居駐屯地

陸上自衛隊久居駐屯地

  • 1954年(昭和29年)
    • 7月1日:陸上自衛隊へ移管[2]。第531施設大隊が第105施設大隊に改称。
    • 9月25日:第14普通科連隊第3大隊が編成完結。
  • 1957年(昭和32年)12月7日:第105施設大隊が神町駐屯地へ移駐。
  • 1958年(昭和33年)6月10日:第10混成団本部が大久保駐屯地から移駐。
  • 1959年(昭和34年)6月3日:第10混成団本部及び諸隊が守山駐屯地へ移駐。
  • 1962年(昭和37年)1月18日:第14普通科連隊第3大隊を基幹として第33普通科連隊が編成完結。
  • 1964年(昭和39年)8月1日:第116教育大隊が新編。
  • 1975年(昭和50年)10月27日:第30回国民体育大会に出席するために来県した昭和天皇香淳皇后が駐屯地グラウンドに行幸啓[3]
  • 2004年(平成16年)
    • 3月28日:第116教育大隊が廃止。
    • 3月29日:第10後方支援連隊第2整備大隊第2普通科直接支援中隊(第33普通科連隊を支援)が新編。
  • 2015年(平成27年)3月26日:会計隊の改編に伴い、第337会計隊が廃止され第408会計隊久居派遣隊が配置。

駐屯部隊

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中部方面隊隷下部隊

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防衛大臣直轄部隊

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過去の駐屯部隊

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  • 第7連隊第3大隊(移駐):1952年(昭和27年)7月10日から1954年(昭和29年)6月24日の間。富士駐屯地へ移駐。
  • 第531施設大隊(改称):1953年(昭和28年)2月25日から1954年(昭和29年)6月30日の間。廃止。第105施設大隊に改称。
  • 第105施設大隊(移駐):1954年(昭和29年)7月1から日1957年(昭和32年)12月7日の間。神町駐屯地へ移駐。
  • 第10混成団本部及び諸隊(移駐):1958年(昭和33年)6月10日から1959年(昭和34年)6月3日の間。守山駐屯地へ移駐。
  • 第14普通科連隊第3大隊(改編):1952年(昭和27年)7月10日から1962年(昭和37年)1月18日の間。第33普通科連隊に改編。
  • 第116教育大隊(廃止):1964年(昭和39年)8月1日から2004年(平成16年)3月28日の間。

最寄の幹線交通

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重要施設

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特徴

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脚注

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  1. ^ 保安庁法施行令及び保安庁職員給与法施行令の一部を改正する政令(昭和27年政令第437号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1952年10月15日). 2018年4月8日閲覧。
  2. ^ 自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1954年6月30日). 2016年5月15日閲覧。
  3. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、145頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  4. ^ 第91期(2014年度)有価証券報告書” (PDF). 中部電力 (2015年6月26日). 2015年12月5日閲覧。
  5. ^ 中 相作. “図説伊賀の歴史 昭和戦後”. 名張雑纂. 2015年1月12日閲覧。
  6. ^ 一志町役場企画課 編 編『一志町史 下巻』一志町役場、1981年3月31日、460頁。 

参考文献

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  • 久居市史

外部リンク

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