中山篤親 (なかやま あつちか、明暦2年11月25日1657年1月9日)-享保元年9月6日1716年10月20日)は、江戸時代公家

官位の最高位は従一位官職の最高位は権大納言。初名は熈季。

経歴

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権大納言正親町実豊の三男。初め熈季と名乗る。権大納言中山英親の養子となる。

寛文6年(1666年)叙爵し元服し右京権大夫に任ぜられる。同10年篤親と改名。

侍従に任ぜられ任ぜられ従五位上に進み、同11年左少将に任ぜられる。

同12年年正五位上、延宝3年(1675年)従四位下に進み、同5年左中将に任ぜられる。

同6年従四位上、天和元年(1681年)正四位下に進み、同3年蔵人頭に任ぜられ正四位上に進み、貞享元年(1684年)年参議に任ぜられる。

同2年従三位に進み、同3年踏歌外弁となる。同4年権中納言に任ぜられる。

元禄元年(1688年)正三位、同9年従二位に進み権大納言に任ぜられる。同11年賀茂伝奏となる。同16年任職を辞す。

宝永2年(1705年)正二位、享保元年(1716年)従一位に進む。

子に中山兼親、庭田重孝(初名は幸親、庭田重条の養子へ)、尊誠(花山院定誠の養子へ)がいる。女子(柳原資堯室)

参考文献

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