下地駅
下地駅(しもじえき)は、愛知県豊橋市横須賀町後口にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の駅である。駅番号はCD02。
下地駅 | |
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駅舎(2024年10月) | |
しもじ Shimoji | |
◄CD01 船町 (0.7 km) (2.2 km) 小坂井 CD03► | |
所在地 | 愛知県豊橋市横須賀町後口 |
駅番号 | CD 02 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | ■飯田線 |
キロ程 | 2.2 km(豊橋起点) |
電報略号 | モチ |
駅構造 | 地上駅(盛土上) |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
223人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1925年(大正14年)12月23日 |
備考 | 無人駅 |
概要
編集1925年(大正14年)、豊川鉄道の手によって開業した。1943年(昭和18年)の国有化を経て、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によりJR東海の経営に移って現在に至っている。IC乗車券サービスの対応駅の一つであり、「TOICA」や相互利用が可能なその他ICカードの利用が可能である。
豊橋駅と旧平井信号場(愛知県豊川市)までの区間は名古屋鉄道(名鉄)名古屋本線と線路を共有しているが、「名鉄の駅ではない」扱いのため名鉄の列車はすべて停車しない。そのため名鉄線を利用したい場合は、JRの列車で一旦豊橋駅へ移動する必要があり、実質的に当駅のある地点と豊橋駅の間2.2キロを一往復することになる。
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通過する名鉄列車
歴史
編集下地駅を開設した豊川鉄道は、現在のJR飯田線南部にあたる豊橋・大海間を運営していた私鉄である。同鉄道線は1897年(明治30年)に豊橋から豊川まで開通するが、その際、現下地駅が所在する当時の鹿菅村に駅は開設されなかった。下地駅が新設されたのはそれから20年以上を経た1925年12月である。開設当初の名称は「下地停留場[注釈 1]」であった。
1943年8月、豊川鉄道線は買収・国有化され国有鉄道飯田線が成立する。これに伴って下地停留場は国有鉄道の「下地駅」となった。開業時から貨物営業を行っておらず、国有化後も貨物・荷物の取り扱いが開始されることのないまま、1987年4月の国鉄分割民営化を迎えてJR東海に継承された。
年表
編集- 1925年(大正14年)12月23日:豊川鉄道の下地停留場として宝飯郡下地町に開業。旅客営業のみを行う旅客駅であった[1]。
- 1943年(昭和18年)8月1日:国有化、国鉄飯田線の下地駅となる[1]。
- 1947年(昭和22年)10月21日:旅客の制限を撤廃[1][2]。
- 1969年(昭和44年)4月1日:業務委託駅となる[3]。
- 1974年(昭和49年)8月21日:現在の駅舎に改築[4]。下り線が移設され変則配置のホームとなる。
- 1985年(昭和60年)4月1日:業務委託終了、無人化[5]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる[6]。
- 1991年(平成3年)3月16日:ダイヤ改正。以降、停車列車は豊橋 - 豊川間の区間運転列車が中心に。
- 2010年(平成22年)3月13日:ICカード「TOICA」の利用が可能となる[7]。
- 2018年(平成30年)3月:駅ナンバリングが導入され、使用を開始する。当駅には「CD02」が与えられた[8]。
- 2024年(令和6年)3月16日:駅舎改築[9]。
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旧駅舎
駅構造
編集盛土(築堤)上にあり、片側にのみ線路が接する単式ホームを2つの単式ホームが背中合わせで配置(いわゆるH型)されて島式ホームに類似する形状の2面2線の駅(同様の構造はバルーンさが駅でも見られる)となっている[10][11]。変則的な形状であるのは、東海道本線上下線と飯田線下り線が使用する豊川橋梁(駅の南側)の架け替え・移設に伴ってホームも改修されたためである(元は幅の狭い島式ホームであった)[11]。ホーム番線は西側が1番線、東側が2番線である。
2本のホームに挟まれた場所に駅舎が設置されている[11]。無人駅(駅員無配置駅)であり、管理駅(駅長配置駅)である豊川駅の管理下に置かれている[12]。かつては有人駅であったが、1969年の業務委託化を経て、1985年から無人駅となっている。
現在の駅舎は2024年(令和6年)3月16日より供用を開始した[9]。東海道新幹線の廃車発生品由来のアルミニウム合金を活用した「東海道新幹線再生アルミ」による駅舎建設は当駅が初の事例となる[13]。このほか、既存駅舎の部材や木枕木の再活用、LED照明の使用するなど環境負荷の低減を目指した造りとなっている[9]。ガラス面の装飾はイチョウをモチーフとしたもので、沿線にある豊橋市立下地小学校のイチョウ(「とよはしの巨木・名木100選」選出)に由来する[9]。
のりば
編集番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
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1 | 飯田線 | 下り | 豊川・飯田方面[注釈 2] |
2 | 上り | 豊橋方面[注釈 2] |
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駅舎内部
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駅舎前に敷き詰められた木枕木
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片面ホームを島式に配置した駅構内
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駅名標
停車列車
編集下地駅を挟む飯田線豊橋・豊川間では、日中普通列車は1時間あたり上下各3 - 4本設定されているが、下地駅と隣の船町駅に停車するのはそのうち上下各2本程度である。停車するのは豊橋・豊川間の区間運転列車が中心(例外もある)。快速列車(上りのみ設定)と特急「伊那路」は通過。
利用状況
編集「愛知県統計年鑑」および「豊橋市統計書」によれば、1950年度から2019年度までの1日平均の乗車人員は下の表の通りに推移している(2000年度から2010年度までは資料無し)。
1950年度の乗車人員は1日平均305人で300人を超えていたが、1952年度以降は300人を割っていた。1962年度からは再び300人を超え、その後増加し続けて1970・71年度には1日平均718人を記録する。これを頂点に以降減少に転じ、1986年度には再び300人を割り込み1日平均231人となった。次年度から増加に転じて1990年度に300人を超えるがこれを最後に300人を超えることなく推移し、1999年度には1日平均262人となった。2011年度には100人台に落ち込んでいる。
1日平均の乗車人員の推移 | ||
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年度 | 乗車人員 | 出典(※) |
1950年度 | 305人 | 昭和27年度刊・327頁 |
1951年度 | 335人 | 28年度刊・311頁 |
1952年度 | 283人 | 29年度刊・330頁 |
1953年度 | 259人 | 30年度刊・306頁 |
1954年度 | 252人 | 31年度刊・304頁 |
1955年度 | 265人 | 32年度刊・320頁 |
1956年度 | 266人 | 33年度刊・336頁 |
1957年度 | 291人 | 34年度刊・380頁 |
1958年度 | 271人 | 35年度刊・293頁 |
1959年度 | 265人 | 36年度刊・261頁 |
1960年度 | 288人 | 37年度刊・325頁 |
1961年度 | 292人 | 38年度刊・297頁 |
1962年度 | 328人 | 39年度刊・299頁 |
1963年度 | 332人 | 40年度刊・263頁 |
1964年度 | 344人 | 41年度刊・239頁 |
1965年度 | 370人 | 42年度刊・263頁 |
1966年度 | 373人 | 43年度刊・193頁 |
1967年度 | 565人 | 44年度刊・197頁 |
1968年度 | 641人 | 45年度刊・205頁 |
1969年度 | 669人 | 46年度刊・229頁 |
1970年度 | 718人 | 47年度刊・237頁 |
1971年度 | 718人 | 48年度刊・217頁 |
1972年度 | 638人 | 49年度刊・215頁 |
1973年度 | 625人 | 50年度刊・221頁 |
1974年度 | 679人 | 51年度刊・225頁 |
1975年度 | 658人 | 52年度刊・217頁 |
1976年度 | 555人 | 53年度刊・231頁 |
1977年度 | 545人 | 54年度刊・233頁 |
1978年度 | 505人 | 55年度刊・221頁 |
1979年度 | 460人 | 56年度刊・227頁 |
1980年度 | 438人 | 57年度刊・239頁 |
1981年度 | 458人 | 58年度刊・223頁 |
1982年度 | 419人 | 59年度刊・223頁 |
1983年度 | 396人 | 60年度刊・241頁 |
1984年度 | 372人 | 61年度刊・235頁 |
1985年度 | 315人 | 62年度刊・223頁 |
1986年度 | 231人 | 63年度刊・223頁 |
1987年度 | 259人 | 平成元年度刊・225頁 |
1988年度 | 289人 | 2年度刊・223頁 |
1989年度 | 297人 | 3年度刊・225頁 |
1990年度 | 313人 | 4年度刊・229頁 |
1991年度 | 290人 | 5年度刊・221頁 |
1992年度 | 272人 | 6年度刊・221頁 |
1993年度 | 253人 | 7年度刊・239頁 |
1994年度 | 245人 | 8年度刊・241頁 |
1995年度 | 243人 | 9年度刊・243頁 |
1996年度 | 251人 | 10年度刊・241頁 |
1997年度 | 259人 | 11年度刊・241頁 |
1998年度 | 258人 | 12年度刊・239頁 |
1999年度 | 262人 | 13年度刊・240頁 |
・・・ | ||
2011年度 | 185人 | 26年度刊・114頁[14]。 |
2012年度 | 168人 | 〃 |
2013年度 | 167人 | 〃 |
2014年度 | 165人 | 27年度刊・114頁[15]。 |
2015年度 | 171人 | 28年度刊・114頁[16] |
2016年度 | 184人 | 29年度刊・122頁[17] |
2017年度 | 194人 | 令和2年度刊・118頁[18]。 |
2018年度 | 207人 | 〃 |
2019年度 | 223人 | 〃 |
※出典欄には数値掲載の同書刊行年とページ数を記載 1999年度までは愛知県統計年鑑による資料。 2011年度からは豊橋市統計書による資料。 |
駅周辺
編集- 豊川
- 愛知県道387号清須下地線
- 国道1号
- 豊橋市下五井地区体育館
- 豊橋市立津田小学校
隣の駅
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 「停留場」とは、転轍機(分岐器・ポイント)が設置されていない駅を指す種別である。当時、私鉄のみに存在した。
- ^ a b 駅掲示用時刻表の案内表記。これらはJR東海公式サイトの各駅の時刻表で参照可能(2015年1月現在)。
出典
編集- ^ a b c d 『停車場変遷大事典』2、97頁
- ^ 「運輸省告示第266号」『官報』1947年10月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『飯田線展』、100頁
- ^ 『飯田線展』、101頁
- ^ 『飯田線展』、102頁
- ^ 曽根悟(監修)(著)、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)(編)「飯田線・身延線・小海線」『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』第3号、朝日新聞出版、2009年7月26日、17頁。
- ^ 『平成22年3月 TOICAがますます便利になります!!』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2009年12月21日。オリジナルの2020年12月19日時点におけるアーカイブ 。2020年12月19日閲覧。
- ^ 【社長会見】在来線駅に駅ナンバリングを導入します (PDF) - 東海旅客鉄道、2017年12月13日
- ^ a b c d 『東海道新幹線再生アルミを活用した飯田線下地駅駅舎の供用開始について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2024年2月29日。オリジナルの2024年2月29日時点におけるアーカイブ 。2024年2月29日閲覧。
- ^ 『東海道ライン全線・全駅・全配線』第4巻、6・7頁(配線図)および44頁
- ^ a b c 『タイムスリップ飯田線』、88頁
- ^ 『東海旅客鉄道20年史』、732頁
- ^ 『東海道新幹線再生アルミの駅舎等への活用について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2023年3月9日。オリジナルの2024年2月29日時点におけるアーカイブ 。2024年2月29日閲覧。
- ^ 平成26年 豊橋市統計書 10 運輸・通信 (PDF)
- ^ 平成27年 豊橋市統計書 10 運輸・通信 (PDF)
- ^ 平成28年 豊橋市統計書 10 運輸・通信 (PDF)
- ^ 平成29年 豊橋市統計書 10 運輸・通信 (PDF)
- ^ 令和2年 豊橋市統計書 10 運輸・通信 (PDF)
参考文献
編集- 愛知県(編)『愛知県統計年鑑』 各年度版。
- 豊橋市(編)『豊橋市統計書』 平成25年度版。
- 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6。
- 笠原香・塚本雅啓『タイムスリップ飯田線』大正出版、2007年。ISBN 978-4-8117-0657-3。
- 川島令三『東海道ライン全線・全駅・全配線』 第4巻 豊橋駅-名古屋エリア、講談社、2009年。ISBN 978-4-06-270014-6。
- 桜ヶ丘ミュージアム 編『飯田線展』桜ヶ丘ミュージアム、2003年。
- 東海旅客鉄道(編)『東海旅客鉄道20年史』東海旅客鉄道、2007年。