一色定堅
江戸時代初期の旗本
一色 定堅(いっしき さだかた)は、江戸時代初期の旗本。吉良氏の一族で、旗本一色家を興した。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長17年(1612年)[1] |
死没 | 寛文6年4月10日(1666年5月13日) |
別名 | 内匠 |
戒名 | 常英 |
墓所 | 万昌院 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川忠長→徳川家光 |
氏族 | 清和源氏足利氏流吉良氏庶流一色家 |
父母 | 父:吉良義定、母:今川氏真の娘 |
兄弟 | 吉良義弥、荒川定安、一色定堅 |
妻 | 小野若狭某の娘 |
子 | 定利、定尚 |
生涯
編集はじめ駿河大納言徳川忠長に仕えたが、寛永9年(1632年)に忠長の改易に伴い浪人(処士)となる。
寛永13年12月10日(1637年)に赦免される。のち徳川家光に拝謁し、寛永19年(1642年)12月23日に御書院番士となった。寛永20年(1643年)12月18日、切米500俵が給される。
寛文6年(1666年)4月10日に死去。享年55。吉良家菩提寺でもある江戸牛込の万昌院に葬られた。万昌院は一色家代々の葬地となった。
参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜』巻第九十三
註
編集- ^ 『寛政重修諸家譜』記載の享年より逆算